別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2010年12月5日日曜日

戦国時代の名城「玉縄城址」周辺の散策

玉縄(岡本・植木・城廻・関谷)には、後北条氏の時代に築かれた玉縄城がありました。


 玉縄城模型

玉縄城は、1512年(永正9年)に北条早雲(伊勢新九郎長氏)が築城した難攻不落の名城で、上杉謙信の攻撃にも耐え、1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原攻めによって無血開城するまで落城したことはありませんでした。


丑堰

大船駅西口には柏尾川が流れています。

かつて、ここから100メートルほどの上流には「堰」が設けられていました。

砂押川との合流付近だといわれ「丑堰」と呼ばれていたそうです。

岡本の耕地に水を引くためでしたが、1625年(寛永2年)丑の年に設置されたことから「丑堰」と呼ばれるようになったといいます。

また、一説には、堰の設置に使った牛が酷使したためか死んでしまいます。

人々は、その牛を堰の「護り」としたことから「丑堰」と呼ぶようになったともいわれています。


黙仙寺

黙仙寺は、明治42年に開かれた曹洞宗の寺です。



大船観音寺

JR東海道線や横須賀線からも眺めることができる白衣の観音さまが本尊です。

昭和4年に観音像の造立が着手されますが、資金不足や戦争のため進まず、昭和35年になってようやく完成しました。曹洞宗の寺です。




玉縄首塚

大船観音寺から柏尾川を下っていくと、戸部橋の袂に首塚があります。

1526年(大永6年)、安房の里見実堯が鎌倉に攻め込んだときの戦死者が祀られています(参考:里見氏の鎌倉来襲)。

8月の「玉縄首塚まつり」で行われる灯籠流しは、大船の夏の風物詩です。


玉縄首塚の近くにあるトンネル

このトンネルを抜けて玉泉寺へ向かいます。

玉縄小学校前の交差点を渡り、突き当たりを左に入れば玉泉寺です。


玉泉寺


玉泉寺は、江戸時代に小林若狭という人物が建てたという真言宗の寺です。

本尊の不動明王像は、願行作と伝えられる像を胎内に納めていることで知られています。


県道402号線

県立フラワーセンター前の道は、横浜市瀬谷区へと通ずる道で、「かまくらみち」とも呼ばれています。

このトンネルを抜けると龍寳寺です。


龍寳寺

龍寳寺は、玉縄城主北条綱成が創建した曹洞宗の寺です。

玉縄北条氏の菩提寺として栄えた寺でした。

「新井白石の碑」や「旧石井家の住宅」があります。


玉縄民俗資料館

玉縄民俗資料館は、龍寳寺の境内にある農具や民具が展示された資料館です。



諏訪神社

諏訪神社は、玉縄城の守護神として北条早雲によって勧請された神社です。

玉縄城内の諏訪壇と呼ばれる場所にあったそうですが、廃城後、現在地に移されました。


小坂家の長屋門

諏訪神社からは、玉縄城があった頃の古道を通って久成寺へ向かいます。

この長屋門はその古道の入口にあるもので、玉縄番匠と呼ばれた小坂家の門です。


七曲坂

何回も曲がりながら上る急坂であることから「七曲坂」と名付けられたようです。

玉縄城の大手口への道で、自然の要害でした。


玉縄城址

玉縄城の中心には学校が建てられてしまっています。

その周辺も住宅街です。


相模陣稲荷神社



陣屋坂には相模陣稲荷神社が建てられています。

「相模陣」というのは地名で、玉縄城を守備する陣屋があったから付けられたといわれています。


バス停「陣屋坂上」

「陣屋坂上」というバス停もあります。

このバス停を過ぎて、細い路地を入ると久成寺へ通ずる坂道となります。


ふあん坂

ふあん坂


玉縄城址に残された貴重な古道です。

「ふあん坂」は、久成寺に通じていることから「久成寺坂」と呼ばれることもあるそうです。


白 坂

ふあん坂を下りきると「白坂」と呼ばれていた坂があったそうです。

現在は県道となっていて当時の面影をしのぶことはできませんが、むかしは、真白な砂が出た道で、坂の上はいつも白い粉をまいたようだったといいます。

そして、現在、龍寳寺の山門背後に安置されているお地蔵さんは、この坂にあった子育地蔵だといわれています。


久成寺

久成寺は、梅田尾張守秀長という人物が建てた日蓮宗の寺です。

徳川家康の来訪も受け、葵の紋入りの弁当箱が残されているそうです。

境内には、上杉謙信の祖といわれる長尾定景一族の墓があります(参考:長尾城址)。


圓光寺

圓光寺は、玉縄城主北条氏時が城内に創建した真言宗の寺です。




貞宗寺

貞宗寺は、徳川二代将軍秀忠の祖母貞宗院の隠居所に開かれた浄土宗の寺です。

徳川歴代将軍の位牌が安置されているそうです。

御霊屋の宝篋印塔は貞宗院の墓といわれています。







 鎌倉手帳


よりともジャパン.com


2010年12月2日木曜日

常盤と打越の散策

「常盤」には北条政村の別邸があって「常盤御所」と呼ばれていました。

「常盤」という地名はそこからきたものと考えられています。

「打越」は、笛田の小字で「笛田から山一つ越えた向こう」という意味があるそうです。有名な「常盤山文庫」が創設されたのが打越です。


梶原交番前の交差点
藤沢駅からバスで梶原口まで来ました。
この交差点は桔梗山への入口で、この周辺に「梶原口」というバス停があります。
よくわかりませんが・・・同じ名のバス停でも、
行き先によって設置されている場所が違うようです。

ここは、鎌倉の三大緑地の一つ「常盤山緑地」の入口の一つです。
本日は、ここからすぐのバス停で降車しましたので、
とりあえずご紹介させていただきます。
ここは上らず、わずかに写っている右の道を長谷方面へ進みます。

ここは変電所の裏。
この辺りには、御嶽神社があって石段のそばに五輪塔などが並んでいたそうです。
石段の上にやぐらがあって、その中に御嶽神社が祀られていたそうですが、
今は八雲神社に合祀されたそうです。
なんらかの面影があるかと歩いてみましたが・・・
何も見つかりませんでした。
ちなみに、御嶽神社が祀られていたやぐらは、
源義経の母「常盤御前」の墓という噂もあったようです。

常盤口の交差点
この辺りには、「常盤御前の硯水」という井戸があったようです。
今もあるのかもしれません。
また「常盤御前」が出てきましたが
「常盤」という地名と「常盤御前」が「ごちゃまぜ」になってしまったようです。
しかしながら、湧き出る水は名水で、
常盤亭の北条政村がよく使用したということです。
なんと、明治の頃には茶屋もあって、旅人の喉を潤していたといいます。
そして、この水を鎌倉の街で売っていた者もいたということです。

八雲神社前の交差点
ここを左に行けば八雲神社ですが・・・
先に打越を廻って、再び戻りたいと思います。

ここは大仏トンネルのちょっと手前です。
コンビニの手前にある「三貴園」という看板がわかるでしょうか。
これが、菅原通済という実業家が営んだ高級料亭です。

看板の案内のとおりに進みます・・・
そして、十字路を越えて奥の道を進みます。

料亭「三貴園」の跡
ここには、「常盤山文庫」もありました。
福島県から堂坂観音というお堂も移されたということですが・・・
他にもいろんな建物が移築されたようです。
しかし、現在は売りに出されています。
観音堂の本尊であった一観音という仏像は、かなり有名な仏像だったそうです。


子守神社
打越の鎮守です。






大仏切通(大仏坂)
火の見下のバス停から少し入ると、
鎌倉七口の一つ大仏切通です。しかし、現在は通行止めとなっています。

八雲神社の鳥居です。ここから、鎌倉方面に向かいます。




圓久寺
八雲神社のすぐ横に日蓮宗の圓久寺があります。
「コスモス寺」と呼ばれている寺で、
本堂前や墓地にたくさんのコスモスが咲きます。
この辺りは北条政村の常盤亭の入口だったことから、
「殿入」という地名があったそうです。
夏のサルスベリも見逃せない寺です。

圓久寺からは、大通りを避けて平行する古道を歩いてみました。
こういう景色でないと鎌倉を歩いている気がしません。

そして、「住友常盤住宅」の坂を上がってみます。
(めったに車も通らない住宅街です。静に歩きましょう。)
少し前まで、ここから大仏切通に行けました。
今は崖崩れ等の危険のため通行止めです。


さらに坂を上がっていくと「一向堂通り」という標識があります。

その通りにあるのが一向堂公園

この辺りには「一向堂」という庵がありました。
浄土真宗の開祖親鸞の孫唯善という人物の庵で、
唯善は、1309年(延慶2年)、
大谷本廟の親鸞の像と遺骨を持ち出して常盤に住んだということです。
親鸞の像は「常盤の真影」と呼ばれ、浄土真宗が広まったそうです。
かつて、鎌倉には浄土真宗の寺が多くありましたが、
戦国時代に北条氏の弾圧を受けたため、
ほとんどの寺が鎌倉の外へ移転したそうです。
現在でも成福寺が唯一の浄土真宗の寺となっています。
(参考:浄土真宗は「一向宗」とも呼ばれています。)

一向堂公園の隅には、このような道があります。
ここから長谷に抜けることができます。
葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースの出入口の山道に合流しています。

一向堂公園から住友常盤住宅の山を下っていくと、
北条氏常盤亭の北条政村別邸跡(タチンダイ)の入口です。
市役所通りに建てられた標識によるとこのような位置です。

北条氏常盤亭跡
この奥が北条政村の別邸があった場所といわれています。
「タチンダイ」というのは館のあった台地という意味のようです。
「館の台」がなまったものではないかといわれています。
約11万平方メートルが国の指定史跡です。

常盤亭跡から鎌倉駅方面へと向かう隧道です。
隧道を抜けると長谷大谷戸の交差点です。
交差点を左に入ると葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースに入れます。
右の道を行くと高徳院(鎌倉大仏)です。


 鎌倉手帳