紫式部は、いつ亡くなったのか?
それは不明ですが、晩年は生まれ育ったといわれる紫野で暮らしていたのだといいます。
紫式部の墓は紫野にありますが・・・
紫式部は、死後、地獄に堕とされたという話があります。
紫式部が描いた『源氏物語』は、平安時代の貴族社会の恋愛物語。
そのため、世の風紀を乱したとして、地獄に落とされたという噂があったようです。
仏教では、架空の物語を作るということは「嘘をついてはいけない」という五戒の一つ「不妄語戒」に当たるのだとか。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけては、紫式部と『源氏物語』の読者を供養する法会が行われるようになります。
『源氏物語』を深く愛していた美福門院加賀(藤原定家の母)なども紫式部の供養を行っていたようです(源氏供養)。
紫式部の墓の横には、生前から閻魔大王と交流していたという小野篁の墓があります。
小野篁の墓は別の地にありましたが、紫野の人々は地獄に堕ちたという紫式部を救うため、篁の墓を紫式部の墓の横に移したのだとか。
(千本ゑんま堂)
千本ゑんま堂(引接寺)は、小野篁が平安京の三大埋葬地の一つ蓮台野の入口に建てたゑんま堂が起源。
紫式部の子孫といわれる円阿は、夢で紫式部が地獄に堕とされている夢を見て、供養塔を建てたのだといいます。
供養塔横の紫式部像は、2008年(平成20年)の「源氏物語千年紀」を記念して寄進されたもの。
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