671年(天智天皇10年)、天智天皇が崩御すると、大友皇子(天智天皇の子)と大海人皇子(天智天皇の弟)が皇位継承問題で対立。
大海人皇子は後継を辞退して吉野に下っていましたが、翌年、美濃国の不破へ向けて出陣(壬申の乱)。
大海人皇子が勝利し、翌673年(天武天皇2年)、飛鳥浄御原に遷都して即位します(天武天皇)。
壬申の乱の際に大海人皇子が本営とした地が関ヶ原の野上宿。
そして、翌年、飛鳥浄御原宮を守るために設置されたのが関ヶ原の不破関。
1221年(承久3年)の承久の乱の際、後鳥羽上皇は不破関を守らせたのだと伝えられています。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで徳川家康が陣を敷いた桃配山の名は、大海人皇子が村人から献上された桃を兵たちに配ったことによるのだとか。
園城寺は、壬申の乱で敗れた大友皇子の子・大友与多王が、天武天皇の許可を得て創建した寺。
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