別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2021年3月24日水曜日

源頼家の嫡子一幡と嫡子のはずだった公暁


『吾妻鏡』によると・・・

源頼家の正室は辻殿(つじどの)。

辻殿は、三河源氏・賀茂重長の娘で、源為朝の孫娘。

側室には比企能員の娘若狭局がいました。


長子の一幡は若狭局が産んだ子。

次男の善哉(公暁)は辻殿が産んだ子。


嫡子はどちらなのか?

嫡子とは嫡室(正妻)が産んだ子のこと。

そうなると、公暁が嫡子ということになります。


しかし、頼家一幡を嫡子として扱ったようです。

おそらく、乳母夫であり重用していた比企能員の娘が産んだ子だからなのでしょう。

頼家の正室を辻殿と決めたのは源頼朝でしょうし、頼朝は辻殿が男子(嫡孫)を産むことを楽しみにしていたのだと思いますが・・・

公暁が誕生したのは頼朝の死後のことでした。

頼朝が生きている間に誕生していれば違っていたのかもしれません。


そして、嫡子を一幡としたまま、頼家も一幡も比企氏も滅亡してしまいました。

本来であれば嫡子のはずの公暁は、微妙な立場のまま成長します。

北条政子の援けもあって、園城寺で修行した後、鶴岡八幡宮の別当に就任するのですが・・・

叔父の源実朝を暗殺。

その後間もなく、三浦義村に誅殺されてしまいます。



一幡袖塚




比企能員の暗殺・比企氏滅亡

源実朝の暗殺







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


二代執権北条義時


宿老13人の合議制


よりともジャパン.com