貞観年間(859-877)、京都では疫病が大流行。
平安宮の庭園・神泉苑で御霊会を行いますが収まりません。
そこで、神泉苑に当時の国の数である66の矛を立て、祇園社(現在の八坂神社)の神輿を送って、牛頭天王(祇園神)を祀る御霊会を執り行ったのだそうです。
これが祇園祭の起源。
「矛」(ほこ)は、槍や薙刀の前身ともいわれる長い武器。
祇園祭の山鉾巡行の「鉾」は「矛」のことですが、「鉾」は装飾的な意味合いを含むもので、次第に「矛」から「鉾」へと呼び方が変わっていったようです。
現在では山鉾巡行が祇園祭のハイライトとなっていますが、本来の祭の目的は八坂神社の神を洛中に迎えること。
山鉾巡行は7月17日と7月24日に行われますが、17日は八坂神社の神輿を四条御旅所に迎える日、24日は神輿が還御する日。
祇園祭は疫病を追い払うために矛(鉾)を立てて神輿を迎えたのが起源ですので、山鉾巡行は神が通る道を清めるという役目(露払い)を果たしています。
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