別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2021年3月11日木曜日

鎌倉幕府の裁判所:問注所




問注所は、1184年(元暦元年)10月20日に源頼朝御所内に設置された訴訟事務を所管する機関。

頼朝亡き後の1199年(建久10年)4月1日、現在の御成小学校付近に移転されました。


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『吾妻鏡』によれば、人々が群集し、騒ぎたて、無礼を働く者がいたため、頼朝の時代から移転が検討されていたのだといいます。

熊谷直実と久下直光の土地の境界を巡っての論争では、うまく弁解が出来ない直実が西の侍所で髷を切ったという事件が発生。

以来、御所での裁判を中止して、三善善信の家を裁判の場所としてきたのだとか。

その後、裁判を行う場所について議論が重ねられ、1199年(建久10年)4月1日に御所の外に新造されることとなったのだといいます。


📎熊谷直実と久下直光の境界争いの裁判


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三善善信は問注所の執事。

公家の家に生まれ、頼朝の乳母の妹を母としており、伊豆蛭ヶ小島に流されていた頼朝に京都の情勢を知らせていた人物として知られています。

鎌倉・室町期を通じて問注所の執事は三善氏が世襲しています。


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問注所での裁判の結果、無罪放免となった者が渡った橋が裁許橋

一方、有罪となった者は六地蔵辺りにあった刑場で処刑されたのだとか。









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