1201年(正治3年)6月28日、越後国の城氏の反乱で藤沢清親が捕虜にされた板額御前が鎌倉に到着。
そのことを聞いた源頼家がその姿を見てみたいと言い出したため、清親が御所へ連れて行った。
頼家は御簾の中から見たが、侍所に控えていた畠山重忠・小山朝政・和田義盛・比企能員・三浦義村らの座の中を通り、頼家の御簾の前に進み出た板額御前は、いっこうにへつらう顔つきはしなかったのだという。
その態度は、居並ぶ勇猛な武将と比べても匹敵するものだった。
ただ、顔は中国の陵薗の妾ほどに美人だたのだとか。
その翌日、甲斐源氏の一族で浅利義遠が、板額御前を預かりたいと申し出た。
頼家が
「この女は比べるものがないほどの国賊である。それを望むとは何かわけがあるのだろう」
と問うと、
義遠は、
「彼女との間に力強い男子を儲けて、朝廷や幕府に忠義を尽くさせたい」
と答えた。
頼家は、常人が望むようなことではないと笑いながら許可したのだという。
板額御前は、浅利義遠の妻となり、甲斐国で生涯を過ごしたのだと伝えられている。
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