別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2019年5月1日水曜日

熱田神宮の草薙剣(くさなぎのつるぎ)

三種の神器



草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ)の別称。

三種の神器の一つ。


~スサノオと草薙剣~

姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)の高天原(たかまがはら)で乱行を働いて出雲に追放されたスサノオ。

そこで出会ったのが老夫婦とその娘・稲田姫命(くしなだひめのみこと)。

老夫婦から、娘がヤマタノオロチに食われてしまうこと聞いたスサノオは、娘を嫁にもらう約束でヤマタノオロチを退治。

その時に大蛇の尾から見つかったのが草薙剣なのだとか。


~三種の神器~

その後、草薙剣は天照大神に献上され、邇邇藝命(ににぎのみこと)が降臨する際には八咫鏡・八尺瓊勾玉のとともにニニギノミコトに授けられます。

それ以来、天皇家は八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を三種の神器として宮中に祀ってきました。

『日本書紀』には、宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祀っていたことが記されているようです。

しかし、第10代崇神天皇は、神と同居して寝食を共にするのは畏れ多いとして、天照大神を皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託し、笠縫邑(かさぬいむら・かさぬいのむら)に祀られます(紀元前92年)。

さらに、95年(垂仁天皇25年)、第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)によって伊勢神宮に遷されたようです。


~日本武尊と草薙剣~
(熱田神宮に祀られた神剣)

父の第12代景行天皇から東征を命じられた日本武尊(やまとたけるのみこと)は、倭姫命から伊勢神宮にあった草薙剣を賜わります。

東国平定の帰路、尾張に滞在した日本武尊は、宮簀媛命(みやすひめのみこと)を妃とし、神剣を妃に預けます。

日本武尊が伊勢国の能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は、預けられた神剣を祀るため熱田神宮を建立したのだといいます(113年(景行天皇43年))。


 熱田神宮


~三種の神器の現在は・・・~

三種の神器のうち、草薙剣は熱田神宮・八咫鏡は伊勢神宮の皇大神宮・八尺瓊勾玉は吹上御所(皇居)の「剣璽の間」に安置されています。

また、崇神天皇が天照大神を宮中の外に祀った時、八咫鏡と草薙剣の形代が作られました。

八咫鏡の形代は宮中三殿の賢所に、草薙剣の形代は吹上御所の「剣璽の間」に安置されています。

※八尺瓊勾玉・草薙剣は「剣璽」(けんじ)と称されています。


~皇位継承と三種の神器~

八尺瓊勾玉と八咫鏡と草薙剣の形代は、歴代天皇に帝の証として継承されてきました。


~例外も~

ただ、後鳥羽天皇は三種の神器がないまま即位していますし、南北朝期にも何人かの天皇が三種の神器がないまま即位しています。

後鳥羽天皇の場合、平家が安徳天皇を奉じて三種の神器とともに都落ちしたたためですが、源頼朝は平家追討に当たって、三種の神器と安徳天皇を無事に京都へお返しするよう命じていました。

しかい、壇ノ浦の戦い平清盛の妻時子が草薙剣(形代)を持って入水、安徳天皇は按察局に抱かれて海に沈んでいきました。

その後、草薙剣は発見されなかったようです・・・

📎三種の神器と頼朝・範頼・義経




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