別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年5月20日水曜日

元国から来日して建長寺10世となった一山一寧

一山一寧(いっさんいちねい)は中国元の禅僧。

寧一山とも呼ばれました。


 建長寺総門の額

建長寺総門に掲げられている「巨福山」は一山の筆によるもの。


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『北条九代記』によると・・・

一山一寧は、宋国台州の出身。

律宗・天台宗を学んだ後、禅宗に転じました。

1299年(正安元年)10月8日、元国王の命により来日。

それを聞いた九代執権北条貞時は、一山を元国からのスパイとして捕え、一時、伊豆国に流すのですが、禅道・学問に優れた僧であるという評判だったため、鎌倉に招いて建長寺に住まわせました。

貞時は毎日面会して重要な事を訪ねたのだといいます。

禅宗を重んじていた後宇多天皇も京都に一山を招いて南禅寺に住まわせ、禅道の根本を問おたのだといいます。

その後、一山は元国へ帰ることもなく、1317年(文保元年)10月25日、南禅寺で入滅(71歳)。

「一世に横行す、仏祖の呑気。箭己に弦を離れ、虚空地に落つ」

(一生涯を自在に生きた。仏はそれを問題にしないでくれた。矢はすでに弦を離れ、大空は地に落ちた。そのように私の命もこの世を去るときが来た。)


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 修禅寺

伊豆に流された一山が幽閉されたのが修禅寺でした。


1293年(永仁元年)、一山は鎌倉に招かれ建長寺10世となります。

鎌倉では、円覚寺浄智寺にも住したようです。


 南禅寺

1313年(正和2年)、後宇多天皇に京都に招かれた一山は南禅寺3世となります。


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 建長寺








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