別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年5月20日水曜日

東慶寺梵鐘と覚海円成~伊豆の国市:本立寺の梵鐘~


 本立寺梵鐘
東慶寺にあった梵鐘
(伊豆の国市:本立寺)


伊豆の国市にある本立寺の梵鐘は、1332年(元徳4年)に北条高時の母覚海円成が鋳造させたもので、もとは鎌倉の東慶寺の梵鐘でした。


1333年(元弘3年)、鎌倉幕府は北条高時以下870余名が東勝寺で自刃したことにより滅亡しました。

高時の母覚海円成は、残された子女とともに伊豆国韮山に移り住み、円成寺を建立して北条氏の菩提を弔ったといいます。





本立寺にある梵鐘がいつ頃から伊豆にあるのかは不明ですが、おそらく覚海円成が伊豆に移り住んだときに東慶寺から運んできたのだろうと考えられます。

そして円成寺の梵鐘として使用されていたのではないでしょうか。

円成寺は江戸中期に焼失したといいますので、その後、徳川幕府の代官だった江川氏の菩提所本立寺へ移されたのだと思われます。


 本立寺梵鐘
梵鐘の銘文


梵鐘銘には、最初に「相陽山内松岡山東慶禅寺鐘銘」と刻まれ、文末には「壬申元徳二二年結制後十一日」、「大檀那菩薩戒尼 円成」と刻まれています。

壬申元徳は西暦1332年。

「二二年」というのが問題ですが、後醍醐天皇は1331年に「元弘」と改元していますので、「元弘2年」という意味と、もうひとつ二を書き加えることで「四」と読ませ「元徳4年」という意味としたのではないでしょうか・・・。

※後醍醐天皇の改元に鎌倉幕府は従わず「元徳」を使い続けていた。



現在の東慶寺の梵鐘は、補陀洛寺から移されたもので、1350年(観応元年)の鋳造。



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(伊豆の国市)

(鎌倉)







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