武田信光の宝篋印塔
(伊豆の国市:信光寺)
武田信光(たけだのぶみつ)は、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏5代当主。
父は武田氏初代の信義。
源頼朝に仕えて活躍し、小笠原長清、海野幸氏、望月重隆とともに弓馬四天王の一人に数えられました。
※伊豆の国市の信光寺は信光が創建した寺院。
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~弓馬四天王~
『吾妻鏡』によれば、
1187年(文治3年)8月15日、源頼朝は鶴岡八幡宮で放生会を催します。
信光は、その時奉納された流鏑馬で射手に選ばれています。
これが鶴岡八幡宮の流鏑馬の起源となります。
1193年(建久4年)8月16日の流鏑馬では、弓馬四天王がそろって射手に選ばれています。
頼朝亡き後も活躍し、1221年(承久3年)の承久の乱では、東山道の大将軍として兵を率い、乱後には安芸国守護に任じられました。
※安芸国守護に任じられた時期には諸説あるようです。
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持国天と増長天
(東大寺大仏殿)
1194年(建久5年)、源頼朝は東大寺大仏殿の虚空蔵菩薩・如意輪観音と四天王像の造立を御家人に命じています。
持国天を造立したのが武田信光でした。
参考までに、従兄弟の小笠原長清が多聞天を造立しています。
これらの仏像は運慶とその一族によって造立されたものだったのだとか・・・
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武田流流鏑馬は、武田信光を祖とする安芸武田氏に伝えられた弓馬術。
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