別冊『鎌倉手帳』

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2014年5月26日月曜日

吾妻鏡が伝える奥州藤原氏三代

奥州藤原氏三代とは、藤原清衡・基衡・秀衡のこと。


1189年(文治5年)9月23日、平泉館を焼き払い北方へ逃げた泰衡を追って厨川にいた源頼朝は、平泉に戻ると無量光院を参詣しています。


『吾妻鏡』によると、そのとき頼朝を案内した清原実俊は、奥州藤原氏三代について以下のように説明しています。


清衡は、継父・清原武貞(鎮守府将軍の清原武則の子)亡き後、奥六郡(伊澤、和賀、江刺、稗貫、志波、岩井)を伝領し、嘉保年中(1094-1095)頃に江刺郡豊田館を平泉に移して宿館とし、33年後に亡くなった。

陸奥と出羽の両国には、一万余の村があり、村ごとに寺院を建て、その燈明用の油代のための水田を寄付した。




基衡は、父を超える財福となって両国を官領し、33年後に亡くなった。




秀衡は、絶えすたれた寺院を再興した。

鎮守府将軍となってからは、官職も父や祖父を越えて、その栄耀は子弟にも及んだ。

33年を経て亡くなった。




この99年間に、建築された寺院や堂塔は、幾千万か数え切れません。



『吾妻鏡』によると、奥州藤原氏三代のそれぞれの治政は、いずれも33年という年月だったようです。


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 奥州平泉




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