源頼朝は、1190年(建久元年)7月15日の盂蘭盆に、勝長寿院において万灯会を行っています。
勝長寿院 源頼朝が亡き父義朝の菩提を弔うために創建した寺院でした。https://www.yoritomo-japan.com/page042shotyojyuin.htm |
「盂蘭盆」は、釈迦の弟子目連が、餓鬼道に落ちてしまった母のため、師に救いを求めたところ、7月15日に衆僧に供養するように教えられたことが始まりといわれています。
「万灯会」には、「灯で黄泉路(よみじ)を照らし亡き人の霊を慰める」という意味があるそうです。
頼朝は、1180年(治承4年)に源氏再興の挙兵をします。
それから10年にも及ぶ戦乱の中で、平家一門をはじめ、木曽義仲、源義経、奥州藤原氏を滅ぼしています。
建久元年の勝長寿院での万灯会は、これまでの戦乱で命を落とした人々を黄泉路を照らすために行われたのでしょう。
永井路子先生の『北条政子』にも勝長寿院の万灯会の様子が描かれています。
この小説では、大姫がなついていた木曽義高を殺した武士の母親(老婆)が登場しています。
頼朝は、木曽義仲を滅ぼすと、鎌倉に人質として預けられていた子の義高も殺しました。
しかし、義高を殺されたことで大姫が病気になります。
すると、「義高を殺したことはけしからん」として、義高を討った武士が手討ちにされたといいます。
政子と老婆は、万灯会の夜に出会ってしまいます。
(参考:木曽義高の誅殺)
様々な人々が、様々な思いでこの夜を過ごしたのでしょうね・・・。
勝長寿院跡
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鎌倉手帳
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