別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年7月14日木曜日

鎌倉の観音霊場巡り

源頼朝が熱心な観音信者であったことは知られています。

1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵をした頼朝は、石橋山の合戦で敗れ海路安房に落ちのびますが、そのとき観音菩薩が船人となって頼朝を安房に渡したという伝説があります。


真鶴岩海岸
https://www.yoritomo-japan.com/yoritomo-funade.htm


『吾妻鏡』には、頼朝が京都清水寺から下された正(聖)観音像を守り本尊としていたことが記されています。

のちに建てられる持仏堂(法華堂)の本尊はこの正観音像だったといいます(参考:源頼朝の守り本尊)。


頼朝の影響もあってか、鎌倉時代には、鎌倉を起点とする板東三十三ヵ所が設定されています。


板東三十三ヵ所第一番札所:杉本寺
行基が開いたという鎌倉最古の寺。
本尊は行基・慈覚・恵心作という三体の十一面観音(杉本観音)。
https://www.yoritomo-japan.com/page042sugimoto.htm

板東三十三ヵ所第三番札所:安養院
頼朝の家臣田代信綱の観音堂が移築されたため田代寺と呼ばれています。
本尊は信綱の観音像を胎内に納めているという千手観音(田代観音)。

板東三十三ヵ所第四番札所:長谷寺
長谷観音の名で親しまれています。
本尊は開山の徳道が彫ったという十一面観音。
https://www.yoritomo-japan.com/page136hasedera.htm


観音信仰の一つに「四万六千日詣り」があります。

三浦半島の人たちは、朝早くから杉本観音田代観音長谷観音で四万六千日詣りを行い、逗子の岩殿寺をまわって帰宅していたといいます。

板東三十三ヵ所第二番札所:岩殿寺
徳道・行基によって創建された逗子の古刹です。
本尊は行基の十一面観音。
https://www.yoritomo-japan.com/gandenji.htm


昔は、杉本寺岩殿寺を結ぶ巡礼道がありました。
頼朝もその巡礼道を使って岩殿寺に通ったと伝えられています。

巡礼古道
https://www.yoritomo-japan.com/kodou-2.htm


江戸時代に入ると、観音巡礼が盛んに行われるようになります。

鎌倉郡においても、鎌倉、横浜戸塚、藤沢などにまたがる鎌倉郡三十三ヵ所が設けられました。

しかし、明治に入って廃寺となってしまった寺も多く、昭和に入って鎌倉市内の寺院のみで三十三ヵ所が設けられています。

鎌倉観音巡礼三十三ヵ所の御朱印
https://www.yoritomo-japan.com/page134.html


鎌倉観音巡礼三十三ヶ所
https://www.yoritomo-japan.com/page134.html
四万六千日
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/simanrokusen.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


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