別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年1月10日月曜日

江の島の三宮と三坊

江の島には、岩屋本宮、上之宮(中津宮)、下之宮(辺津宮)の三宮があって、

その三宮にはそれぞれ、岩本院(岩本坊または中之坊とも呼ばれた。)、上之坊、下之坊という別当寺がありました(いずれも古義真言宗)。


岩本楼
現在の旅館岩本楼は、岩屋本宮の別当「岩本坊」でした。
一山の総別当だったともいわれています。
江戸時代には院号の使用が許され「岩本院」と称しています。
(岩本楼ホームページ:http://www.iwamotoro.co.jp/


~岩本院~


岩屋本宮の別当寺で「江島寺」とも呼ばれていたといいます。

中世には間宮氏が経営し、岩本楼には、鎌倉公方足利成氏から間宮氏に送られたの感謝状をはじめ、小田原北条氏からの書状が残されているようです。

江戸時代には京都仁和寺の末寺となり、江戸幕府からは、1649年(慶安2年)、江の島全山の山林竹木等諸役免除の朱印状が与えられ、1706年(宝永3年)には、片瀬村に社領15石の朱印地が与えられています。


奥津宮は岩屋本宮の御旅所でした。
岩屋本宮の弁財天像は弘法大師の作だったと伝わっています。


~上之坊~


現在の中津宮です。

853年(仁寿3年)、慈覚(円仁:第三代天台座主)の創建と伝えられています。

1549年(天文18年)、北条氏康が修造料として白糸を寄進されました。

江戸幕府からは1706年(宝永3年)、片瀬村に社役として10石の朱印地が与えられています。


~下の坊~


現在の辺津宮です。

1206年(建永元年)、鎌倉幕府三代将軍の源実朝の許しを得て、鶴岡八幡宮の供僧良真が創建したと伝えられています。

参考
聖天島(鎌倉手帳) 
宋国伝来の古碑(okadoのブログ) 
蟇石と無熱池(鎌倉手帳)


1549年(天文18年)、北条氏康が修造料として白糸を寄進されました。

1637年(寛永14年)に鐘が鋳造され、1675年(延宝3年)に本殿が再建されています。

1690年(元禄3年)には、杉山検校によって社殿が再興され、1693年(元禄6年)には三重塔が建てられています。

参考
鍼師「杉山検校」と江の島弁財天(okadoのブログ)

江戸幕府からは、1692年(元禄5年)に江の島内漁師町において10石8斗6升の朱印地が与えられています。


江の島
https://www.yoritomo-japan.com/enosima.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html



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