別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2013年12月25日水曜日

明朝様式の禅宗伽藍・・・黄檗宗大本山:萬福寺(宇治市)


黄檗宗(おうばく)は禅宗の一派。

宇治にある萬福寺はその大本山です。

萬福寺は、中国明の僧・隠元隆琦が開いた寺で、明朝禅を今に伝えています。伽藍様式も明朝風です。


総門

黄檗の名は、臨済宗開祖の臨済義玄(りんざいぎげん)の師である黄檗希運(おうばくけうん)からきています。


萬福寺を開いた隠元は明で臨済宗を代表する僧でした。

そのため、「臨済正宗」などと呼ばれていましたが、明治7年に臨済宗黄檗派となり、明治9年には黄檗宗として独立しています。


三門・天王殿・大雄宝殿・法堂が一直線に並びます。

三門

天王殿

大雄宝殿

法堂

布袋尊

天王殿に安置されている布袋尊は、日本最古の「都七福神」の一つ。

回廊

三門、天王殿、大雄宝殿、法堂の左右には諸堂が並び、全て回廊で結ばれています。

開版

食堂前の回廊には魚板。木魚の原形といわれています。

回廊

回廊の鐘


開山堂


萬福寺は、創建当初の姿を伝える寺院。他では見ることの出来ない禅宗伽藍建築群です。
素人の写真ではその素晴らしさをお伝えできないのが残念ですが・・・。


駒蹄影園址

宇治は宇治茶の発祥の地。

萬福寺の総門前に建てられている駒蹄影園址碑は、高山寺の明恵が、栂尾で育てた茶を移植させたことを伝える碑です。

そして、萬福寺を開いた隠元は、煎茶道の祖といわれています。










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2013年12月24日火曜日

以仁王の令旨と源頼政と宇治平等院

1180年(治承4年)、後白河法皇の第三皇子以仁王は、源頼朝をはじめとする全国の源氏に平氏打倒の令旨を発します。

以仁王は、邸宅が三条高倉にあったとことから「高倉宮」と呼ばれていました。



御所八幡宮は三條坊門万里小路邸に建てられたのが始まり。


三條坊門万里小路邸は、以仁王(高倉宮)の邸宅があったので「高倉殿」とも呼ばれていました。



『吾妻鏡』によれば、4月9日、源頼政は息子の仲綱とともに三条高倉御所を訪れ、源頼朝をはじめとする全国の源氏に令旨を発し、平家を討ち滅ぼすことを申し入れました。

頼政は、源頼光を祖とする摂津源氏(参考:六孫王神社)。

1159年(平治元年)の平治の乱では平清盛に味方し、清和源氏の中では唯一人「従三位」に処せられた公卿でした。


以仁王と頼政の計画は、間もなく平氏方に露見し、5月26日、2人は南都の興福寺へ向かいます。
(興福寺の僧兵を頼ったものと考えられています。)


当時の興福寺は多くの僧兵を抱えていました。


しかし、宇治で平氏の軍勢に追いつかれ合戦となってしまいます。

頼政は宇治橋の橋板を落とし、平等院に籠もって奮戦しましたが、平氏の大軍の前に敗れ、自刃しました。


扇の芝平等院
(源頼政終焉の地)

扇の芝は観音堂の横

源頼政の墓平等院

源頼政の墓がある塔頭最勝院




頼政が平等院で時間を稼いでいる間、以仁王は興福寺へと向かいますが、南山城の加幡河原で追討軍に追いつかれて討たれたといいます。


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2013年12月23日月曜日

開運祈願・・・新春の鎌倉・江の島七福神巡り





浄智寺
布袋尊

浄智寺鎌倉五山の第四位に列せられた寺。福神は弥勒菩薩の化身といわれる布袋尊です。



鶴岡八幡宮

弁財天

鶴岡八幡宮弁財天は裸像。裸形像は鎌倉時代の特徴的な彫刻手法です。鎌倉国宝館に寄託されています。

かつては、源氏池旗上弁財天社に祀られていたそうですが、旗上弁財天社は明治の神仏分離によって破壊されてしまいます。現在の社は、昭和55年に復元されたものです。



宝戒寺は北条一族の霊を弔うため、後醍醐天皇足利尊氏に命じて建てた寺。

福神は本堂に安置されている毘沙門天。多聞天とも呼ばれ、東西南北の四天王の一つとしても知られています。



妙隆寺

寿老人

妙隆寺は、千葉常胤の子孫胤貞の別邸があったことから「千葉屋敷」とも呼ばれた寺。

本堂前の堂には、欅一木造りの寿老人が祀られています。



本覚寺

夷神

本覚寺は、日蓮の遺骨が分骨されていることから東身延とも呼ばれる寺。もとは源頼朝御所の鬼門に祀った夷堂があった所です。

夷堂は、明治の神仏分離によって移転させられ、蛭子神社となりましたが、昭和58年、本覚寺の境内に再建されました。

正月は「鎌倉えびす」で賑わいます(正月1日から3日まで「初えびす」、10日には「本えびす」)。



長谷寺

大黒天

長谷寺は、日本最大級の木造十一面観音を本尊とする寺。坂東札所四番。

大黒堂に安置されているのは「出世開運授け大黒天」。宝物館には、神奈川で一番古い尊像が収蔵されています。



御霊神社

福禄寿

御霊神社は、平安時代に大庭御厨を開拓した鎌倉権五郎景政を祀る神社。景政の武勇伝から眼病の神として親しまれいます。

福神の福禄寿は、秋の面掛行列に参加する十人衆の一人「福録」にちなんだもの。



江島神社

弁財天

江の島は、古くから神仏混淆の霊地として信仰を集めた島。

江島神社辺津宮にある奉安殿には、源頼朝が勧請したともいわれる「八臂弁財天」と、裸像として知られる「妙音弁財天」が安置されています。

江戸時代には弁天信仰が盛んになり、大山との二所詣が盛んに行われていたそうです。

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