1180年(治承4年)10月、源氏再興の挙兵をして鎌倉に入った源頼朝は、由比郷にあった鶴岡若宮(由比若宮)を小林郷北山に遷し、鶴岡八幡宮を中心とした街づくりを始めます。
同時に、先祖・源頼義が館を構えていたという大倉郷に御所の建設を始めました。
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『吾妻鏡』によると・・・
1180年(治承4年)12月12日、源頼朝は大庭景義が大倉郷に建てていた新造の御所に移ります。
午前10時頃、水干を着た頼朝が上総広常の屋敷を出発。
馬は石和栗毛。
和田義盛が先頭、次に頼朝、頼朝の左には加々美長清、右には毛呂季光。
続いて北条時政、北条義時、足利義兼、山名義範、千葉常胤、千葉胤正、千葉胤頼、安達盛長、土肥実平、岡崎義実、工藤景光、宇佐美助茂、土屋宗遠、佐々木定綱、佐々木盛綱らが従い、一番最後は畠山重忠でした。
御所に到着して頼朝が寝殿に入ると、供の者たちは侍所に対座。
その中央に座ったのは侍所別当の和田義盛でした。
出仕した者は311人。
そして、頼朝は「鎌倉の主」に推戴されました。
鎌倉殿の誕生です。
鶴岡八幡宮を中心に整備された鎌倉には、御家人たちも宿や館を構えました。
鎌倉は辺鄙な所でしたが、街中の道を真っすぐにして、郊外の村にも名が付けられ、家が建てられたのだといいます。
鎌倉殿の誕生とともに武家の都も誕生したということなのでしょう。
鶴岡八幡宮は、北条時政の先祖といわれる平直方から鎌倉の地を譲り受けた頼朝の先祖・頼義が創建しました。
源氏の氏神・石清水八幡宮の祭神をお迎えし、由比郷鶴岡の地に創建されたことから鶴岡若宮(由比若宮)と呼ばれていました。
(大倉御所跡)
頼朝の御所は鶴岡八幡宮の東側に建てられました。
御所は、のちに大倉幕府(鎌倉幕府)と呼ばれます。
鎌倉幕府とは鎌倉の武家政権のことで、その成立時期については様々な意見があるようですが、頼朝が幕府という語を使ったことはないようです。
武家政権=幕府とされたのは江戸時代後半のこと。
したがって、徳川家康に「江戸幕府」と言っても「何の事?」と言われてしまうのかもしれません。
参考までに・・・
鎌倉検定では、武士として初めて幕府を開いた人物を頼朝としていますが、武家政権を樹立させたのは平清盛。
近年では清盛の六波羅や福原も幕府であるという提唱がなされています。
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