別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年6月1日土曜日

源頼朝の恩人・池禅尼は藤原隆家の子孫


1159年(平治元年)の平治の乱平清盛に敗れた源頼朝

義朝とともに都を落ちて東国で再起を図ろうとしますが、翌1160年(平治元年)1月3日、義朝は尾張国野間長田忠致に殺害され、頼朝は2月9日、平頼盛(池禅尼の子)の家人・平宗清に捕えられてしまいます。

六波羅に連行された頼朝は・・・

清盛の継母池禅尼の嘆願によって命を救われたのだと伝えられています。


池禅尼は貴族・藤原宗兼の娘。

藤原道長と政権を争った藤原隆家の後裔のようです。

隆家→良頼→良基→隆宗→宗兼→池禅尼


参考までに・・・

源実朝の正妻坊門姫も隆家の後裔らしい。

隆家→経輔→師信→経忠→信輔→信隆→信清→坊門姫



蛭ヶ小島

池禅尼に命を助けられた頼朝は、伊豆国流罪となります。

流された地は蛭ヶ小島と伝えられています。


池禅尼の供養塔
(野間大坊)

野間大坊は頼朝の父義朝の菩提寺。

義朝の墓の傍らには、頼朝の助命嘆願をした池禅尼の供養塔が建てられています。

野間大坊に頼朝が寄進した地蔵菩薩像は、頼朝の念持仏で池禅尼から賜ったものなのだと伝えられています。





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