東三条殿に入った盗賊は、散楽一座の直秀らでした。
道長は直秀らを検非違使に引き渡し、その後、流罪とするよう頼んでいました。
しかし、直秀らは鳥辺野に連れて行かれ、殺されてしまいます。
(源氏物語ゆかりの地説明板)
鳥辺野は平安京の三大葬送地。
平安時代は、「火葬」されるのは上流貴族のみで、「風葬」が一般的。
道長とまひろは、土を掘って埋葬したようですが、当時は、埋葬はせず死体を投げ捨てて自然に腐らせていたようです。
紫式部の時代は、疫病が大流行。
のちに、道隆や道兼も疫病で亡くなります(道隆は酒が原因とする説もありますが・・・)
疫病が流行すると鳥辺野には、おびただしい数の死体が捨てられていたそうです。
六道の辻は、平安京三大葬送地の一つ鳥辺野の入口。
六道の辻にある西福寺は、空海が鳥辺野の入口にあたる地に地蔵堂を建てたことに始まります。
六道の辻で売られている幽霊子育飴には、若い女が死んだあとに墓の中で出産し、生まれた子を育てるために夜な夜な飴を買いに来たという伝説が残されています。
閻魔大王と交流していたという小野篁は、六道珍皇寺にある井戸から冥界へ行って(死の六道)、嵯峨にあった福正寺の井戸から帰ってきたのだといいます(生の六道)。
六波羅蜜寺は、六道の辻に捨てられた死体を供養するために建てられた西光寺を前身としています。
六道の辻から松原通を西へ行くと清水坂。
清水寺の本堂(清水の舞台)からも死体が投げ捨てられていたのだとか。
鳥戸野陵は、のちに、ききょう(清少納言)が仕えることとなる藤原定子の陵墓。
定子は遺体は、六道の辻の六波羅蜜寺に安置された後、鳥辺野(鳥戸野)へ運ばれ土葬されたのだと伝えられています。
📎藤原保輔~平安時代の盗賊~
今回もまひろと道長が逢っていたのは・・・
📎満月の夜、まひろと道長が逢っていたのは河原院?~光る君へ第5話~
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