996年(長徳2年)、紫式部は越前守となった父藤原為時に同行して越前国へ下向。
都を発った一行は、逢坂の関を越えて大津に入り、打出浜から船出。
琵琶湖西岸を渡って塩津浜に上陸。
塩津山(深坂峠)を越えて敦賀に入り、木ノ芽峠を越えて越前国府に至ったと考えられています(諸説あり)。
気比の松原(けひのまつばら)は、国の名勝に指定されている白砂青松の景勝地。
気比神宮は、北陸道の総鎮守・越前国の一宮。
紫式部が下向した当時、気比の松原や気比神宮の近くには、北宋の商人・朱仁聡らが滞在していた施設があったのだといいます。
藤原為時は、得意の漢詩で宋人と交流を深めたようです。
異国の人の存在は、紫式部にも影響を与えたのかもしれません。
『源氏物語』では、光源氏は高麗人に人相占いをしてもらっています。
紫式部公園は、紫式部の越前下向を記念して整備された公園。
紫式部公園のある武生には越前国府がありました。
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