神泉苑は、雨乞いの霊場であり、疫病が流行した際には御霊会が修されてきた霊場。
池に架かる朱塗りの橋は法成橋。
源義経と静御前が出会った場所と言われています。
5月2日から4日までの間、神泉苑祭が開催され、5月3日には法成橋で静御前の舞が奉納されるようです。
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『義経記』によると・・・
源頼朝が三島大社を参拝した時の事。
その道中で河越重頼が「静御前の舞を見たかった」と話します。
梶原景時は「日本一の舞」と語ります。
頼朝が「大げさな話だ。どこで舞って日本一と言われたのか?」と問うと、景時は次のように説明したようです。
「一年で百日の日照りが続く年がありました。
賀茂川・桂川の水は流れず、井戸の水も絶えました。
慣例によって比叡山・三井寺・東大寺・興福寺などの高僧が神泉苑で仁王経を唱えましたが、八大龍王は願いを聞き入れてくれませんでした。
続いて、ある者が
「容貌がすばらしく美しい白拍子100人を神泉苑に集めて、後白河法皇の行幸を仰いで舞わせれば、竜神が願いを聞いてくれましょう」
と言うので、100人の白拍子を舞わせることにしますが、99人が舞っても効果がありません。
残るは静ただ一人。
「静が舞っただけで竜神が願いを聞き入れてくれるのだろうか」
という意見もあったようですが、後白河法皇は「人数のうちならば舞わせよ」と命じます。
そして、静が舞うと・・・
山々から黒雲が湧きあがり、八大龍王が現れ、稲妻が光り、三日間も雨が続き、国土が安寧になり、法皇は静の舞に「日本一」の宣旨を与えたのです・・・」
この雨乞いの舞を見ていたのが源義経。
静は神泉苑の雨乞いの舞の時に義経に初めて会い、堀川の御所へ呼ばれたのだとか。
神泉苑は、天皇や公家が船遊びなどをするため、794年(延暦13年)、桓武天皇によって平安京の大内裏(平安宮)に接して造営された広大な禁苑(宮中の庭園)。
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