(風俗博物館パネル)
打毬(だきゅう)は、平安時代に端午の節会の際に行われた宮中行事で、乗馬した競技者が左右に分かれ、毬を毬門(ゴール)に入れる競技。
822年(弘仁13年)正月、渤海国の国使が豊楽殿で打毬を行ったという記録があることから渤海国を通じて日本に伝わったとする説が有力。
紫式部の『源氏物語』~蛍の巻~では・・・
光源氏が六条院の花散里の御殿「夏の町」の馬場で「手結」(てつがい)を催しています。
夕霧が武徳殿での催しの後に行ったもので、紫の上の「南の町」にも続いていたため多くの女房が見物。
勝負のたびに「打毬楽」(たぎゅうらく)や「落蹲」(らくそん)なども奏でられました。
この「手結」が「打毬」なのではないかとする説があります。
打毬楽の装束
(風俗博物館パネル)
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