伝承によると、
長谷寺を開いた徳道(とくどう)は、721年(養老5年)、稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)という二人の仏師に、一本のクスノキから二体の十一面観音像を彫らせました。
一体は奈良の長谷寺に安置され、もう一体は「有縁の地に出現して人々を救うように!」という願いから、行基によって海に投げ入れられました。
海に投げ入れられた観音像は、15年後に三浦半島の長井の浦に流れ着きます。
そして、鎌倉に遷座されたのだといいます
長谷寺では、記念法要のほか、様々な催し物や記念頒布の準備が進められているようです。