相模国松田郷(現在の松田町)は、平安時代末の有力武将で波多野城を本拠とする波多野義通の領地でした。
義通の妹は源義朝の側室となり朝長を産み、松田郷には朝長が生まれ育ったという松田亭があって、波多野氏は源氏と深い繋がりにありましたが、義朝の嫡子をめぐる問題で源氏とは不和になったのだといいます。
1180年(治承4年)8月、源頼朝が挙兵しますが、義通の子義常は、頼朝に暴言を吐き、挙兵に応じませんでした。
頼朝が南関東を制圧すると、10月17日、松田郷で自害しています。
義常の嫡子有常は大庭景義に預けられますが、1188年(文治4年)4月3日に行われた鶴岡八幡宮臨時祭での流鏑馬で見事な技量をみせた有常は、頼朝の賞賛を受けて、亡き父の所領の中でも随一だった松田郷を与えられ、松田氏を名乗りました。
その後、松田氏は波多野氏一族を統合する惣領家として存在し、戦国期には城郭を構え、北条早雲が関東に進出してくると後北条氏の家臣となり、代々家老を務め、十代松田憲秀のとき全盛を迎えますが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐によって小田原城が開城し、憲秀は切腹しています。
松田城跡は、JR御殿場線「松田」駅、小田急線「新松田駅」から徒歩30分
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