別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年5月24日火曜日

源義経には経若という子がいた?


『吾妻鏡』によると・・・

源頼朝と対立して逃亡生活を送ることとなった源義経は、1187年(文治3年)2月10日、平泉藤原秀衡を頼るため奥州に辿り着きます。

その時に妻の郷御前と息子と娘を連れていたようです。

それから2年後の1189年(文治5年)閏4月30日、藤原泰衡に衣川館を攻められた義経は、妻と娘を殺して自刃しています。


さて・・・

平泉に到着したときには息子もいたようですが、最期の場面ではその子は登場していません。

一説によると、その息子の名は経若といい、常陸入道念西に預けられていたのだといいます。

念西は、伊達氏の初代当主・伊達朝宗のことと考えられているようですが、経若を養子としたという伝承があるようです。

そして、この経若が後に下野国にあった中村城の城主となった中村朝定なのだとか。


高館義経堂
(岩手県平泉町)

高館義経堂は、伊達氏二十代当主の伊達綱村によって建てられました。







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