別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2018年6月14日木曜日

北条と他の御家人とでは家格が違う!~源頼朝、多賀重行の所領を没収~

『吾妻鏡』によれば・・・

1192年(建久3年)5月26日、まだ10歳ほどだった北条泰時が遊びに出かけたときのこと。

多賀重行が馬に乗ったまま前を通り過ぎたのだそうです。


それを聞いた源頼朝は、

「礼儀は年上・年下の順を論ずるべきにあらず。

その者の身分によるべき。

金剛(泰時)は汝らと一緒ではない。

なんで気をつかわないのだ」

と直接言い聞かせたのだとか。


すると重行は、恐縮しながら次のように弁明します。

「全く存ぜぬこと。

若君と従者に尋ねてみてください」


ということなので、頼朝は泰時と従っていた那古谷頼時に尋ねてみます。

すると泰時は

「そのような事はありませんでした」

那古谷頼時も

「重行は下馬しました」

と答えます。


それを聞いて怒った頼朝は、

「後で事実が明らかになることを恐れず、嘘をつき、罪を逃れようとする。

その考えと振る舞いは理解できない」

と重行に何度も言ったのだとか。


一方、泰時に対しては、

「幼少でありながら慈悲があって立派である」

と感心し、大事にしていた刀を与えました。

後に承久の乱に出陣した泰時は、その刀を帯びたのだといいます。


さて、怒られた多賀重行は・・・

所領を没収されたのだそうです。

※多賀氏は近江国の多賀大社の社家(神職を世襲してきた氏族)。


 北条泰時の墓







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