1192年(建久3年)5月26日、まだ10歳ほどだった北条泰時が遊びに出かけたときのこと。
多賀重行が馬に乗ったまま前を通り過ぎたのだそうです。
それを聞いた源頼朝は、
「礼儀は年上・年下の順を論ずるべきにあらず。
その者の身分によるべき。
金剛(泰時)は汝らと一緒ではない。
なんで気をつかわないのだ」
と直接言い聞かせたのだとか。
すると重行は、恐縮しながら次のように弁明します。
「全く存ぜぬこと。
若君と従者に尋ねてみてください」
ということなので、頼朝は泰時と従っていた那古谷頼時に尋ねてみます。
すると泰時は
「そのような事はありませんでした」
那古谷頼時も
「重行は下馬しました」
と答えます。
それを聞いて怒った頼朝は、
「後で事実が明らかになることを恐れず、嘘をつき、罪を逃れようとする。
その考えと振る舞いは理解できない」
と重行に何度も言ったのだとか。
一方、泰時に対しては、
「幼少でありながら慈悲があって立派である」
と感心し、大事にしていた刀を与えました。
後に承久の乱に出陣した泰時は、その刀を帯びたのだといいます。
さて、怒られた多賀重行は・・・
所領を没収されたのだそうです。
※多賀氏は近江国の多賀大社の社家(神職を世襲してきた氏族)。
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