「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」
これは1895年(明治28年)に夏目漱石が詠んだ句。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
これは同じ年に正岡子規が詠んだ句。
1895年(明治28年)、夏目漱石は愛媛県尋常中学校(松山中学)に赴任します。
松山は正岡子規の故郷。
漱石の下宿には、病気療養で故郷に戻っていた子規が居候していたこともあったそうです。
病気が良くなってきた子規は帰京しますが、その途中で立ち寄った奈良で詠んだのが有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という句。
子規が詠んだこの句は、漱石が詠んだ「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」を参考にして詠まれたものと言われています。
夏目漱石と正岡子規は東大予備門の同窓生。
「漱石」は子規のペンネームの一つだったそうです。
二人の友情が隠れてる2つの句です。
(安国論寺)
(東慶寺)
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