(源頼朝墓)
源希義は源義朝の子。
母は源頼朝と同じ由良御前。
1159年(平治元年)の平治の乱後、土佐国へ流されていましたが、1182年(寿永元年)、平重盛の家人で土佐国の豪族・蓮池家綱と平田俊遠に討たれたのだと伝えられています(諸説あるようです。)。
『吾妻鏡』によると・・・
1185年(元暦2年)3月27日、希義の配流地・土佐国介良庄の僧・琳猷が希義の遺髪を持って鎌倉にやってきました。
琳猷は、蓮池家綱に討たれた後、放置されていた遺体を葬って供養してきたのだそうです。
面会した頼朝は、「死んだ弟に会えたようだ」と言って琳猷上人に礼を述べたとのだといいます。
📎頼朝の兄弟たち
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