別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2017年10月4日水曜日

伝統的工芸品「鎌倉彫」~鎌倉検定~

屈輪文彫木朱漆大香合
(円覚寺・鎌倉国宝館寄託)

室町時代。

木地に屈輪(グリ)文を掘り、下地を黒漆でかため、上塗りに朱漆を施し、身の側面にも同様の屈輪文を配する。

鎌倉彫の原型とされるものの一つ(県の有形文化財)。

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源頼朝が幕府を開き、政治・文化・経済の中心として栄えた鎌倉。

多くの寺院が建立され、仏像の造立もさかんに行われました。

鎌倉に集まった仏師たちは仏像だけではなく、光背・台座・香合・食器・燭台などの仏具も制作していました。

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(問題)

鎌倉を代表する名産品の一つに鎌倉彫がある。
鎌倉彫の最初は、東大寺南大門の金剛力士像を作った[     ]の子の康運が、[     ]の工人陳和卿が持ってきた彫漆工芸を真似て作った仏具と考えられており、国の重要文化財である建長寺の須弥壇や[     ]開山堂の前机は鎌倉彫の原型とされている。
現在、[     ]には、鎌倉彫の普及の場として鎌倉彫会館が開設され、鎌倉彫教室やギャラリーとして親しまれている。


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~鎌倉彫とは~

鎌倉彫は、宋の工人陳和卿(ちんなけい)が持ってきた彫漆工芸「紅花緑葉」をもとに、運慶の子康運が作った仏具がはじまりと考えられています。

彫漆工芸は、漆を何百回も塗り重ねた漆の層に彫刻を施すもので、手間も時間もかかり費用もかかりました。

そこで考え出されたのが、木に彫刻してから、その上に漆を塗るという方法。

初めは宋の影響が残されていましたが、次第に日本独自の工芸品へと変化していきました。

それが今に伝わる「鎌倉彫」です。

※「紅花緑葉」とは、朱漆と緑漆を交互に塗り重ね、朱漆の部分に花、緑漆の部分に葉を掘った工芸品のこと。

明王院の不動明王は康運作とする説があります。

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 建長寺須弥壇

鎌倉時代。

欄間にはめられた透彫の獅子牡丹文は雄壮で、鎌倉彫りの元祖といわれている(国の重要文化財)。

 円覚寺前机

鎌倉時代。

円覚寺開山堂に置かれ、全面朱漆で塗られている(国の重要文化財)。

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(問)鶴岡八幡宮の参道正面にある店で、鎌倉彫の復活に貢献した仏師後藤宗家が経営する店の屋号は何か。

(問)茶道の普及とともに「鎌倉物」として有名になり、1979 年(昭和 54)には国の伝統工芸の指定を受けたものは何か。

博古堂

室町・江戸時代になると茶道の流行によって、仏師たちは茶道具・文具・食器などの調度品を鎌倉彫で製作するようになり、宮廷や武家以外の町人の生活にも広がっていきました。

江戸時代の『三条西実隆日記』には、「鎌倉物」と記されています。

しかし、明治になると神仏分離令が出され、それに伴う廃仏毀釈の運動により、多くの仏師が職を失ってしまいます。

ついには、仏師の家は後藤家と三橋家のみとなってしまいますが、両家は、仏師としての副業であった鎌倉彫を本業とすることにし、パリ、ウィーン、アメリカで開催された万国博覧会に鎌倉彫を出品するなど、新時代の鎌倉彫制作に努力した。

やがて鎌倉が別荘地、保養地として栄えるようになると、茶托・盆・菓子皿などの日用品としての需要も多くなっていきました。

そして、1979年(昭和54年)、「伝統的工芸品」の指定を受けるに至ります。


 鎌倉彫会館

1968年(昭和43年)、後藤俊太郎らが中心となって建設されました。


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 鎌倉検定

 鎌倉の紅葉





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