別冊『鎌倉手帳』

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2017年8月14日月曜日

源頼朝の挙兵~『吾妻鏡』が語る山木館襲撃~

1180年(治承4年)8月17日、源頼朝挙兵!。

1160年(永暦元年)3月11日、伊豆国の蛭ヶ小島に流されてから約20年後のことでした。

頼朝の標的は伊豆国の目代・山木兼隆。


 山木兼隆の墓
(伊豆の国市:香山寺)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『吾妻鏡』によると・・・

攻めるに当たって北条時政は・・・

「今日は三島大社の祭礼。多くの参詣者がいるので牛鍬大通を行くと疑われるので、蛭島通を行くべき」

と進言します。

しかし、頼朝は・・・

「大切な事業(源氏再興の挙兵)の最初のことなので裏道を使用すべきではない。また蛭島通は騎馬では進めいないので大通を使用すべき」

と答えたのだそうです。


(三島市)

頼朝が挙兵した8月17日は三嶋大社祭礼の日でした。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

北条館を出陣した頼朝軍は、まずは原木の北方の肥田原へ進軍。

ここで北条時政は佐々木定綱に、山木兼隆の後見役・堤信遠を攻めるよう頼んでいます。

それを承知した定綱は、子の刻、弟の経高、高綱とともに牛鍬を東へ進軍。

堤信遠館を襲撃して信遠を討ち取りました。

一方、時政は天満坂を進軍して、山木兼隆館を攻めます。

そこに堤信遠を討った佐々木定綱、経高、高綱が駆けつけます。

さらに頼朝の命により北条館で留守をしていた加藤景廉、佐々木盛綱、堀親家らが駆けつけました。

そして・・・

盛綱と景廉が兼隆の屋敷内に入り、見事に兼隆を討ち取ります。


こんな感じだったのでしょうか・・・
山木館襲撃MAP

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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