別冊『鎌倉手帳』

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鎌倉の歴史にかかる関係地・寺社の情報も。




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2016年12月6日火曜日

セレクション:源頼朝~誕生から挙兵まで~

 源頼朝誕生地
(名古屋市)


1147年(久安3年)、河内源氏の棟梁・源義朝の三男として誕生。
母は由良御前。
三男ですが嫡子として育てられます。


 源義朝の墓
(愛知県美浜町)


1159年(平治元年)12月の平治の乱で父義朝が平清盛に敗北。

義朝は尾張国野間で家臣の裏切りに遭い殺害されます。


 蛭ヶ小島
(伊豆の国市)


平治の乱で捕えられた頼朝は、伊豆国の蛭ヶ小島に流されます。


 音無神社
(伊東市)


伝承の域を出ませんが、頼朝は伊東祐親の娘・八重姫と結ばれて、男子を授かったのだといいます。

しかし、その子は祐親の怒りに遭い殺されてしまいます。


 毘沙門堂
(伊豆の国市)


1173年(承安3年)4月29日、後白河法皇に神護寺再興の勧進を強行した文覚が伊豆国に流されてきました。

文覚は源頼朝が流されていた蛭ヶ小島からそう遠くない奈古谷に庵を結んだと伝えられています。


 北条政子産湯の井戸
(伊豆の国市)


1177年(治承元年)頃ではないかと考えられていますが、頼朝は伊豆の豪族・北条時政の娘・政子と結婚します。

長女大姫もこの頃に誕生していると考えられています。


 北条館址
(伊豆の国市)


1180年(治承4年)4月9日、以仁王が全国の源氏に平家打倒の令旨を発し、
自らも源頼政とともに挙兵しました。

令旨は、4月27日、北条館に届けられ、頼朝は水干に着替えて石清水八幡宮を遙拝した上で、謹んで開いて見たと伝えられています。



 源頼政の墓
(宇治市・平等院)

平家打倒の令旨を発して挙兵した以仁王と源頼政は、南都へと向かう途中の平等院で平家軍に追いつかれ最期を遂げました。


 山木兼隆の墓
(伊豆の国市)

1180年(治承4年)8月17日、頼朝が挙兵。

目代の山木兼隆を討って、20日には相模国へと進軍します。


 石橋山古戦場
(小田原市)

相模国へ入った頼朝は23日、石橋山に布陣します。

しかし、翌24日未明には、大庭景親・伊東祐親の平家軍に敗れ、山中へと逃れます。


 源頼朝船出の浜


石橋山で大敗した頼朝は、一時、箱根権現に身を潜めますが・・・

8月28日、真鶴から海路、安房国を目指します。


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 源義朝最期の地


 源頼朝の配流地


 歴史めぐり源頼朝

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