妙心寺塔頭大法院は真田信幸(信之)の菩提寺。
信幸は真田昌幸の長男。
信繁(幸村)の兄。
関ヶ原の戦いでは、父昌幸、弟信繁は西軍に、信幸は東軍に付いて戦います。
戦後、上田藩主となり、父昌幸との決別を家康に表すため信之に改名したのだといいます。
1622年(元和8年)、信濃松代藩に移封。
1658年(万治元年)10月17日死去。
大法院は、1662年(寛文2年)、信之の孫・長姫が信之の遺命によって創建したのだと伝えられています。
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日本最古七福神
鎌倉との繋がりを求めて。