別冊『鎌倉手帳』

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2015年11月24日火曜日

鎌倉幕府二代執権・北条義時の法華堂跡



1224年(元文元年)6月13日、鎌倉幕府2代執権・北条義時が亡くなります。

源頼朝墓の東にある山裾の平場は、二代執権・北条義時法華堂跡と考えられています。


『吾妻鏡』には「故右大将家法華堂の東の山上をもって墳墓となす」と記されています。

故右大将家とは源頼朝のこと。




北条義時は、源頼朝亡き後の御家人による政権争奪に深く関わり、畠山重忠の乱後は、父時政を鎌倉から追放して二代執権の座に就きます。

将軍源実朝の暗殺では、裏で暗殺者である公暁を操っていたとも考えられています(源実朝の暗殺(源氏の滅亡))。

1221年(承久3年)には、後鳥羽上皇が起こした承久の乱を鎮圧しました。


62歳で急死したという北条義時

暗殺されたのではないかという説もあるようです。


📎鎌倉幕府二代執権・北条義時は暗殺されたのか?


 北条義時法華堂跡


村田清風歌碑

平場の下には長州藩士で毛利氏の小姓として仕え、藩政改革に手腕を発揮した村田清風の歌碑が置かれています。

📎大江広元・毛利季光・島津忠久の墓


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