別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2013年9月25日水曜日

源頼朝が帰依した伊豆山権現の覚淵

『吾妻鏡』によると、源頼朝は、挙兵前の1180年(治承4年)7月5日、伊豆山権現の文陽房覚淵を北条屋敷に呼び出しています。

頼朝は、挙兵前に法華経を千回読むつもりでいたようですが、それを達成することが難しくなりました。

そこで、「たとえば八百回読んだとしたら功徳をつむことはできるのか?」

と覚淵に訪ねたといいます。

すると覚淵は「八百回でもご利益はあるでしょう」と答えたといいます。


 伊豆山神社


伊豆山神社は「伊豆山権現」・「走湯権現」とも呼ばれ、源頼朝北条政子が崇敬した神社。

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8月17日、頼朝は挙兵し、伊豆国の目代山木兼隆を討ちます。

兼隆を討ち取ったのは佐々木盛綱と加藤景廉でした。

そして、この加藤景廉と覚淵は兄弟だといわれています。

その後、覚淵は北条政子と大姫を匿い、頼朝石橋山で敗れると、二人を秋戸郷に逃しました。

また、覚淵と加藤景廉の父景員は、箱根山中で出家し、伊豆山権現に入ったといいます。


般若院(熱海市)


伊豆山権現の別当寺として栄えた般若院は、覚淵が創建した密厳院を前身としているといいます。

密蔵院は関東護持の祈祷所だったといいますが、豊臣秀吉の小田原攻めの際に焼けてしまったといいます。



最明寺(大井町)


大井町にある最明寺は、源延が松田山に建てた西明寺を前身としているといいますが、源延は頼朝の信任を得て伊豆山権現の別当となっています。

この源延も覚淵と加藤景廉の兄弟だといいます。






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