田代信綱・加藤景廉・仁田忠常は、伊豆国に土着していた武将で、いずれも1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵に従った。
(伊豆市田代の田代砦跡)
田代信綱は、藤原氏で後三条天皇の末裔ともいわれ、母は工藤茂光の娘。石橋山で敗れ、舟で安房へ向かった源頼朝主従七騎のうちの一人(参考:湯河原の城願寺)。
鎌倉の安養院の千手観音像は、信綱の伝説が残された観音像。
石橋山の戦いでは祖父工藤茂光が自害している。
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(伊豆市牧之郷)
加藤景廉は、田代信綱の祖父工藤茂光とともに大島の源為朝を征伐した武将と伝えられている。
1180年(治承4年)の山木館襲撃では、佐々木盛綱とともに伊豆国目代の山木兼隆を討ち取った(参考:香山寺)。
1203年(建仁3年)には、比企の乱で比企能員を暗殺した仁田忠常を謀殺している。
江戸時代に活躍した遠山の金さんは、景廉の子孫。
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(田方郡函南町)
仁田忠常は、1193年(建久4年)に起こった曽我兄弟の仇討ちの際、兄弟の兄十郎祐成を討ち取った武将。
1203年(建仁3年)には、北条時政の命により比企能員を暗殺した(比企の乱)。
比企の乱後、加藤景廉に謀殺されている。
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