別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2010年11月10日水曜日

大町大路の散策

大町大路は、古東海道の道筋で、一般的に下馬四ツ角から大町四ツ角を経て名越切通へと通ずる道といわれています。


下馬四ツ角
交差するのは、鎌倉の中心線「若宮大路」です。
反対方向は、長谷寺への道「長谷小路」へと繋がります。

延命寺橋
滑川に架かる橋です。
関東大震災時には、津波がこの辺りまできたそうです。
江戸時代までは「墨売橋」と呼ばれ、滑川は「墨売川」と呼ばれていました。
この辺りに墨(炭)売りの座があったからだといわれています。

延命寺
北条時頼夫人の「身代わり地蔵」(裸地蔵)と、
閻魔大王像のあまりの木で造ったという「阿弥陀如来像」の寺です。

子護りサト像
JR横須賀線の踏切横に建てられています。
交通事故で亡くなった金子サトさんの供養のために建てられたそうです。

教恩寺
一ノ谷の合戦で捕らえられた平重衡の伝説が残されている寺です。
本尊の阿弥陀如来は源頼朝が重衡に与えたものだと伝えられています。

大町四ツ角
大町大路と小町大路が交差する地点。
ここが鎌倉時代の商業地帯で、多くの町屋が並んでいたものと考えられます。
1251年(建長3年)、幕府は小町屋の指定を行い、
商業が出来る地域を定めています。
このとき指定されたのは、
大町・小町・米町・亀谷辻・和賀江・大倉辻・気和飛坂山上です。
1265年(文永2年)の改正では、
大町・小町・魚町・穀町・武蔵大路下・須地賀江橋・大倉辻が指定されました。

四ツ角を右に曲がると朱塗りの橋がありますが、「魚町橋」と呼ばれている橋です。
その横には「町屋址」の石碑も建てられています。

大町の鎮守八雲神社の入り口です。
八雲神社新羅三郎義光の伝説が残された神社で、
「八雲さん」・「お天王さん」と呼ばれて親しまれています。

別願寺
鎌倉公方で永享の乱に敗れた足利持氏の供養塔があります。
足利氏の菩提寺として、また、鎌倉の時宗の中心として栄えた寺です。

上行寺
水戸浪士広木松之助ゆかりの寺です。
幕末、桜田門外で井伊直弼を暗殺した水戸浪士のうちの一人です。
事件後、匿われていたこの寺で切腹したそうです。
境内には松之助の墓があります。

安養院
北条政子ゆかりの寺。
板東観音巡礼・鎌倉観音巡礼の札所で本尊は千手観音です。
頼朝と政子が結ばれたことから良縁観音、
頼朝が出世したことから昇竜観音とも呼ばれています。
境内には鎌倉最古の宝篋印塔(良弁尊観の石塔)があります。
その横には北条政子の供養塔もあります。

名越四ツ角
ここを左に曲がると日蓮宗の大寶寺があります。
さらにその先を行くと六方井慈恩寺跡そして釈迦堂切通となります。

このY字の交差点を左に入ると安国論寺妙法寺です。

日蓮乞水の道標
JR横須賀線の名越踏切を過ぎると日蓮乞水の案内があります。

長勝寺
石井藤五郎長勝という人物が日蓮の旧跡に建てた寺です。

材木座霊園
素晴らしい眺めの霊園です。
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura-sanpo2.htm

銚子ノ井の道標

銚子ノ井
鎌倉十井の一つ。
水の出口が「お銚子」の口に似ているため付けられた名のようです。

日蓮乞水
1253年(建長5年)、日蓮名越切通を越えて鎌倉に入ったといわれています。
日蓮が持っていた杖で地を突き刺したところ水が湧いたと伝えられている井戸です。
鎌倉五名水の一つに数えられています。
日蓮乞水から先は名越切通です。


鎌倉手帳
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