別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2025年9月8日月曜日

北条政子の日向薬師参詣~「伊勢原観光灌まつり」では政子の行列。~


(伊勢原市)


日向薬師は、この国に2つとない効験のある薬師如来の霊場。

薬師如来は、人々を病苦から救ってくれる仏。


北条政子は、1210年(承元4年)6月8日と1211年(建暦元年)7月8日の二度、日向薬師に参詣しています。

この頃、次男で三代将軍の源実朝は、1208年(承元2年)に疱瘡を患って精神的に落ち込み、鶴岡八幡宮の参拝もできない状態だったといわれています。

二度目は実朝の妻・坊門姫も伴っていますので、実朝の病気平癒のための参詣だったのかもしれません。


参詣後、政子は鶴岡八幡宮の神宮寺で金銅の薬師如来の開眼供養を行っています。

この薬師如来は実朝の病気平癒を願って造立されたものと考えられています。

実朝は、翌年、鶴岡八幡宮参拝を再開しています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


毎年10月に開催される伊勢原観光道灌まつりのハイライトは、「太田道灌公鷹狩り行列」と「北条政子日向薬師参詣行列」。

2025年の北条政子役は、お笑い芸人の福田麻貴さん(3時のヒロイン)。



北条政子の日向薬師参詣


道灌まつり


北条政子

日向薬師








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


太田道灌の鷹狩りと山吹の伝説


日向の彼岸花


日本遺産:大山詣

大山寺


歴史めぐり源頼朝


よりともジャパン.com


2025年9月7日日曜日

射手・諸役定めの儀~鶴岡八幡宮例大祭 小笠原流流鏑馬~




9月14日から16日の鶴岡八幡宮例大祭では、最終日に小笠原流流鏑馬が奉納されますが、それに先立って行われるのが「射手・諸役定めの儀」。

鶴岡八幡宮の流鏑馬は、源頼朝が1187年(文治3年)8月15日の放生会で奉納したことに始まります。

『吾妻鏡』によると、頼朝は8月4日に射手と的立などの役を決定しています。

「射手・諸役定めの儀」は、その故実に基づいて行われる儀式です。

2025年の「射手・諸役定めの儀」は9月7日(日)の予定(13:00から)。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


1187年(文治3年)8月4日、頼朝は熊谷直実に的立て役を命じました。

しかし直実は、その役を拒んだことから領地を没収されています(熊谷直実の逸話~鶴岡八幡宮の流鏑馬~)。



鶴岡八幡宮例大祭流鏑馬









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


9月14日~16日は・・・
鶴岡八幡宮例大祭


鶴岡八幡宮神幸祭


鶴岡八幡宮



よりともジャパン.com


運慶展オリジナルカード~運慶 祈りの空間-興福寺北円堂~




2025年9月9日から11月30日まで、東京国立博物館で開催される特別展「運慶 祈りの空間-興福寺北円堂」では・・・

入場者全員に「運慶展オリジナルカード」が配布されます。

北円堂の戸張をもとにデザインされています。



鹿草木夾纈屛風

鹿草木夾纈屛風(しかくさきょうけちのびょうぶ)は正倉院の宝物。

北円堂の戸張は、これをモチーフにしたもの。




興福寺北円堂は、興福寺の開基藤原不比等の一周忌に創建されました。

1180年(治承4年)の南都焼討後の復興造仏を任されたのが運慶

本尊の弥勒如来坐像、肖像彫刻として日本彫刻史上屈指の名作といわれる無著・世親菩薩立像は、1212年(建暦2年)に運慶が一門を率いて造立したもの。

もとは北円堂に安置されていたという中金堂の四天王立像も運慶作ではないかと考えられています。

「運慶 祈りの空間 興福寺北円堂」では、北円堂の弥勒如来坐像、無著・世親菩薩立像、中金堂の四天王像が展示され、鎌倉復興期の北円堂が再現されます。




運慶



2025年9月9日から
運慶 祈りの空間


東京メトロオリジナル24時間券


運慶願経


興福寺北円堂

興福寺中金堂

興福寺南円堂


興福寺


南都焼討








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


東大寺大仏殿にも運慶仏があった!
東大寺大仏殿

東大寺南大門の金剛力士像は運慶作!
東大寺南大門


東大寺


歴史めぐり源頼朝


よりともジャパン.com


日蓮の龍ノ口法難と四条金吾・宿谷光則~収玄寺・光則寺~


収玄寺


四条金吾は、名越流の北条光時(江間光時)に仕えた武将。

本名は四条頼基。

熱心な日蓮信者だったことで知られています。

1271年(文永8年)9月12日、幕府や諸宗を批判したことで捕らえられた日蓮龍ノ口刑場へ護送されると、金吾は切腹覚悟で刑場へと向かったのだといいます。


収玄寺

長谷の収玄寺は金吾の屋敷跡に建てられた寺。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


龍ノ口法難では、弟子の日朗も捕らえられ、宿谷光則邸(現在の光則寺)の土牢に幽閉されました。


日朗の土牢

日蓮が日朗に送った『土牢御書』には、牢を出たら佐渡に遊びに来るように書かれていて、日朗は、日蓮の佐渡流罪中、8度にわたって佐渡を訪れたのだといいます。



日蓮が赦免された1274年(文永11年)、日朗の監視役をしていた宿谷光則は自邸を寺としました。

それが光則寺

開山は日朗。

光則は、弟子の身を案ずる日蓮に感動して帰依したのだと伝えられています。





ぼたもち供養:龍口寺

ぼたもち供養:常栄寺








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ご難ぼたもちの伝説

源頼朝の千羽鶴の放生会と桟敷の尼


鶴岡八幡宮例大祭

甘縄神明神社例大祭

面掛行列


よりともジャパン.com



源頼朝が選んだ弓馬の達人22名


流鏑馬


1193年(建久4年)、源頼朝は、富士裾野の巻狩りに先立って那須野で巻狩りを催しました。

このとき頼朝は、弓馬術に優れた腹心の者22名を選んで弓箭を帯びさせました。

他の者は一万騎もいたそうですが、弓箭を帯びず勢子の役をしたのだそうです。

弓箭を帯びる→弓矢を携帯すること。

勢子→鳥獣を追い出す役。


22名に選ばれたのは・・・


★北条義時

北条時政の次男、北条政子の弟。


★武田信光

弓馬四天王の一人。

武田流流鏑馬の祖。


★小笠原長清

弓馬四天王の一人。

小笠原流流鏑馬の祖。


★里見義成

新田氏の祖新田義重の孫。


★小山朝光(結城朝光)

頼朝の乳母だった小山政光寒河尼の子。


★下河辺行平

小山氏の一族で頼朝からは「日本無双の弓取」と称賛された。


★三浦義連

源義経に従った一ノ谷の戦い鵯越の逆落し)で活躍。


★和田義盛

鎌倉幕府侍所別当


★千葉成胤

千葉常胤上総広常の孫。


★榛谷重朝

稲毛重成の弟、畠山重忠の従兄弟。


★諏訪盛澄

1187年(文治3年)、鶴岡八幡宮流鏑馬で妙技を披露。


★藤沢清親

1193年(建久4年)の武蔵国入間野の鳥猟で百発百中の妙技を披露。


★佐々木盛綱

1180年(治承4年)の頼朝の挙兵で、加藤景廉とともに伊豆の目代山木兼隆を討ち取った。


★渋谷高重

渋谷重国の次男。


★葛西清重

豊島清元(清光)の三男。


★望月重義

弓馬四天王の一人・望月重隆の兄。


★梶原景季

梶原景時の長男。


★工藤行光

石橋山の戦い北条宗時とともに討死した工藤茂光の子。


★仁田忠常

平家追討で活躍。


★狩野宗茂

工藤茂光の子。


★宇佐美助茂

工藤祐経の弟。


★土屋義清

岡崎義実の子










☆ ☆ ☆ ☆ ☆


9月14日~16日は・・・
鶴岡八幡宮例大祭


鶴岡八幡宮神幸祭

鶴岡八幡宮例大祭流鏑馬


鶴岡八幡宮



よりともジャパン.com