別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2025年9月5日金曜日

日蓮に帰依した妙一尼・桟敷の尼・日昭・日朗~鎌倉:實相寺・常栄寺・光則寺~



鎌倉で日蓮に帰依した妙一尼・桟敷の尼と日蓮六老僧の日昭・日朗は一族。





実相寺

實相寺は、工藤祐経の屋敷跡に建てられた寺。

祐経の娘・妙一尼は、下総国印旛郡印東荘を領した印東祐昭の妻で、實相寺開山の日昭の生母と言われています。


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常栄寺

常栄寺は、桟敷の尼の伝説から「ぼたもち寺」と呼ばれている寺。

桟敷の尼は、印東祐昭の子祐信の妻。

桟敷とは、源頼朝が千羽鶴放生会を観覧するために築かれた展望台(桟敷)のことで、祐信の妻は、頼朝の旧跡を管理していたことから「桟敷の尼」と呼ばれたのだといいます。


ご難ぼたもちの伝説

源頼朝の千羽鶴の放生会と桟敷の尼


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光則寺

光則寺は日朗が開いた寺。

日朗は、印東祐昭の娘が生んだ子(日昭の甥)。

1271年(文永8年)の龍ノ口法難で佐渡に流罪となった日蓮のもとを何回も訪ね、1274年(文永11年)には赦免状を携えて佐渡に渡ったのだと伝えられています。

池上宗仲の協力を得て、日蓮入滅の霊場池上本門寺の基礎を築きました。

宗仲も印東祐昭の娘が生んだ子(日朗の従兄弟)。




日蓮


常栄寺

光則寺

實相寺








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ぼたもち供養:龍口寺

ぼたもち供養:常栄寺


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