別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年11月20日水曜日

源氏物語・須磨の巻~光源氏が蟄居した地~




紫式部『源氏物語』は、「須磨の巻」から書き始められたともいわれます。

須磨は、光源氏のモデルともいわれる在原行平ゆかりの地。




光源氏は、政敵の右大臣の娘・朧月夜との密会が露見してしまったことを機に須磨へ退くことに。

一年が経った3月、須磨の浦で禊(巳の日祓)をしていた光源氏は豪風雨に襲われます。

そして、亡き父の桐壺帝が夢枕に現れ、住吉の神の導きに従い須磨を離れるように告げられます。

翌朝、明石入道の舟で明石へと移り、明石入道邸で明石の君と出会うことに。

京都市勧業館「みやこめっせ」前の源氏物語石像は、「源氏物語千年紀」に建てられたもの。


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「須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、植ゑし若木の桜ほのかに咲き初めて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり」

「若木の桜」は光源氏紫の上を想って植えた桜。

須磨寺源平の庭には「若木の桜跡」があります。


若木の桜



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現光寺には、「光源氏月見の松」が聳えます。



現光寺は、光源氏が住まいしていた地と伝えられることから「源氏寺」と呼ばれます。


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関守稲荷神社は、光源氏巳の日祓をした場所とみなして「巳の日稲荷」と呼ばれています。




源氏物語 須磨・明石









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源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

琵琶湖で紫式部・源氏物語

源氏物語 須磨・明石

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紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~


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光源氏のモデル・在原行平と須磨




在原行平は、光源氏のモデルの一人とされる平安時代前期の公卿。

文徳天皇のときに須磨に蟄居を余儀なくされました。



(須磨離宮公園)

行平は、しばしば裏山で月見をしていたため、後世、裏山は月見山と呼ばれるようになります。

須磨離宮公園は、月見山にあった皇室の別荘・武庫離宮の跡地で、園内には在原行平の月見の松碑が建てられています。




松風村雨堂は、須磨に蟄居していた行平が都に帰った後、愛人だった松風と村雨が行平の無事を祈って建てた庵の跡。





多井畑厄除八幡宮は行平が信仰した社。

鎌倉時代には一ノ谷へと向かう源義経が祈願しました。




多井畑厄除八幡宮の西にある二基の五輪塔は、在原行平の愛人だった松風と村雨の墓




源氏物語 須磨・明石









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源氏物語

光源氏


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2024年11月19日火曜日

鎌倉検定過去問~銭洗水~


鎌倉五名水の1つ、佐助の銭洗水で金銭を洗うと特に福利が増すといわれているのは何の日か。





銭洗水銭洗弁財天宇賀福神社の奥宮(洞窟内)の湧き水。

銭洗弁財天宇賀福神社は、源頼朝が宇賀福神を祀ったことに始まるといわれています。

宇賀福神は仏教の神である弁財天と習合された神で、体がヘビで頭が人の形。

2025年(令和7年)は巳年。

巳は蛇!

蛇は弁財天の使い。

巳の日には蛇が弁財天に願いを届けてくれる!


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銭洗水鎌倉五名水のひとつ。

1685年(貞享2年)に徳川光圀が編纂させた『新編鎌倉志』には・・・

「隠里の巌窟の中にあり。福神銭を洗と云う。鎌倉五水の一也」

と紹介されています。


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五代執権北条時頼は、巳成金(みなるかね)の日に参拝することを推奨したのだといいます(北条時頼の銭洗い)。

巳成金の日は、60日に一度巡ってくる「己巳の日」(つちのとみのひ)=弁財天の縁日。

そして、いつのころからか、霊水で銭を洗うと数倍になるという信仰が生まれました。

洗った銭は持っているのではなく使う事によって「数倍になって返ってくる」のだとか。





鎌倉検定


銭洗弁財天


鎌倉五名水


初巳祭








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鎌倉初詣特集

鎌倉新年のイベント

鎌倉江の島七福神


京都は七福神発祥の地
都七福神


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2024年11月18日月曜日

三井寺(園城寺)で出家した藤原為時


園城寺大門

三井寺は、天台寺門宗の総本山。

正式名称は長等山園城寺。

天智天皇・天武天皇・持統天皇の誕生の際に産湯に用いられた霊泉があることから三井寺と呼ばれています。


1016年(長和5年)4月29日、紫式部の父藤原為時三井寺で出家しました。

為時は1011年(寛弘8年)に越後守となり、長男の惟規とともに越後国へ下向。

その年、惟規を亡くしています。

1014年(長和3年)、越後守を辞任して帰京。

帰京の理由は次女の紫式部が亡くなったからともいわれています。

出家の理由はわかりませんが、長男と次女を相次いで亡くしたため、「三井寺の阿闍梨だった三男の定暹のもとで暮らしたかったから」という説があります。

紫式部の母方の叔父にあたる康延も三井寺の阿闍梨だったのだといいます。


📎紫式部の没年と源氏物語~准太上天皇となった光源氏と敦明親王~



園城寺金堂

三井寺の本尊は弥勒菩薩。

誰も拝することのできない絶対秘仏。

三井寺金堂には藤原道長が奉納した弥勒菩薩も祀られています。




紫式部


藤原道長

藤原彰子









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