別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年7月21日日曜日

藤原道長の死後に起こった平忠常の乱、鎮圧したのは源頼信


1027年(万寿4年)12月4日、摂関政治の最盛期を築いた藤原道長が死去。

同日、道長を支えてきた藤原行成も死去。

政権が不安定となる中、安房国で反乱を起こしたのが平忠常。

忠常は1028年(長元元年)6月、安房国府を襲撃。

反乱は、下総国・上総国にも広がり、平将門の反乱以来の大規模なものとなりました(平忠常の乱)。


乱を鎮圧したのは、河内源氏の祖・源頼信

頼信が東国支配の礎を築いたことで、武士が本格的に表舞台に登場することとなります。



(羽曳野市)

河内源氏は河内国の壺井(現在の羽曳野市)を本拠とした清和源氏の一流。

初代・頼信は清和源氏二代目の源満仲の子。

武勇に秀でた頼信は「道長四天王」の一人に数えられていました。

反乱を起こした平忠常は、坂東八平氏の祖・平良文の孫。

母は平将門の娘。

頼信の家人だったともいわれています。

1180年(治承4年)、河内源氏七代目にあたる源頼朝挙兵しますが、それに従った千葉常胤上総広常は忠常の子孫。





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