紫式部の『源氏物語』は、「須磨の巻」から書き始められたともいわれます。
須磨は、光源氏のモデルともいわれる在原行平ゆかりの地。
光源氏は、政敵の右大臣の娘・朧月夜との密会が露見してしまったことを機に須磨へ退くことに。
一年が経った3月、須磨の浦で禊(巳の日祓)をしていた光源氏は豪風雨に襲われます。
そして、亡き父の桐壺帝が夢枕に現れ、住吉の神の導きに従い須磨を離れるように告げられます。
翌朝、明石入道の舟で明石へと移り、明石入道邸で明石の君と出会うことに。
京都市勧業館「みやこめっせ」前の源氏物語石像は、「源氏物語千年紀」に建てられたもの。
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「須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、植ゑし若木の桜ほのかに咲き初めて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり」
「若木の桜」は光源氏が紫の上を想って植えた桜。
須磨寺の源平の庭には「若木の桜跡」があります。
若木の桜
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現光寺には、「光源氏月見の松」が聳えます。
現光寺は、光源氏が住まいしていた地と伝えられることから「源氏寺」と呼ばれます。
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関守稲荷神社は、光源氏が巳の日祓をした場所とみなして「巳の日稲荷」と呼ばれています。
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