別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2013年4月28日日曜日

武家の古都・鎌倉のイコモスの勧告評価通知(予定)・・・世界文化遺産




文化庁は、「武家の古都・鎌倉」のイコモスによる勧告評価が5月3日にも通知されるという発表をしたそうです。

「武家の古都・鎌倉」の世界文化遺産候補は以下の21ヶ所の史跡。



神  社


寺  院


寺院跡


武家館跡


切  通


港  跡




◎勧告評価の内容は・・・


登   録 ユネスコの世界文化遺産登録がほぼ確実。

情報照会 追加情報が求められ、翌年以降、登録について再審議される。


登録延期 推薦署を再提出して、再びイコモスの審査を受ける(やり直し)。


不登録 世界文化遺産に値しない(再推薦も出来ない)。


この勧告評価は、6月に行われる世界遺産委員会の本審議の審査基準となります。

結果が、「登録」であれば、ほぼ確実に世界文化遺産として認められるそうです。



世界文化遺産候補21の史跡
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2012年3月14日水曜日

鎌倉:世界文化遺産候補の切通

「切通」(きりどおし)は、山や丘などを切り開いて通した道のこと。

鎌倉は三方を山で囲まれ前面が海のため、鎌倉への出入りには険しい峠を越える必要がありました。その難を取り除くために開かれたのが切通です。

鎌倉七口と呼ばれる切通のうち、当時の面影をよく残した五つが世界文化遺産候補となっています。


仮粧坂
藤沢、戸塚を経て武蔵国に通じる道。

朝夷奈切通
鎌倉と六浦を結ぶ道。「塩の道」とも呼ばれました。

名越切通
鎌倉と三浦を結ぶ道。

まんだら堂やぐら群
名越切通の北方尾根上にあるやぐら群です。

大仏切通
鎌倉から藤沢へ通じる道。

亀ヶ谷坂
扇ヶ谷と山ノ内を結ぶ道。

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2012年2月10日金曜日

鎌倉幕府滅亡の地:東勝寺跡

東勝寺跡


東勝寺は、三代執権北条泰時によって創建され、開山には退耕行勇が迎えられたと伝えられている寺院です。

1333年(元弘3年)5月22日、新田義貞が稲村ヶ崎を突破し鎌倉に攻め入ると、北条高時をはじめとする北条一族は、東勝寺に退き自刃しました(参考:鎌倉幕府の滅亡)。


鎌倉炎上~新田義貞の鎌倉攻め~



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2012年2月9日木曜日

源頼朝の遺跡・・・永福寺跡

永福寺跡


永福寺は、源頼朝が奥州の「中尊寺」や「毛越寺」を模して建てた壮大な寺院でした。

1192年(建久3年)に二階堂が完成し、翌年には阿弥陀堂が、さらにその翌年には薬師堂が完成しています。

(参考:永福寺跡の散策

これらの堂の前には、苑池が造営され、宇治の平等院鳳凰堂のような景観だったとも伝えられています。

『東関紀行』には、「二階堂永福寺はことにすぐれたる寺なり」と記されています。



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源頼朝の遺跡・・・法華堂跡

源頼朝の墓


源頼朝の墓を中心とする史跡を「法華堂跡」といいます。


法華堂跡碑


『吾妻鏡』によれば、1189年(文治5年)、源頼朝は奥州征伐の折、御所(大倉幕府)の裏山に祈願所(持仏堂)を設けて、聖観音像を安置しています。

頼朝は、その死後、この持仏堂に葬られたといわれ、以後「法華堂」と呼ばれたようです。

※『吾妻鏡』には、頼朝が、持仏堂に葬られたという記載はありませんが・・・。

(参考:源頼朝の守り本尊~正(聖)観音像~


現在、頼朝の法華堂跡には、頼朝の供養塔(墓)が建てられています。


北条義時法華堂跡


近年、源頼朝墓の東隣の山の中腹から北条義時のものと考えられる法華堂跡も発掘されています。


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2012年2月6日月曜日

世界文化遺産候補・・・浄光明寺

浄光明寺


浄光明寺は、1251年(建長3年)、六代執権北条長時によって再興された寺。

足利尊氏は、この寺で後醍醐天皇の建武の新政からの離脱を決めたといわれています。

本尊の阿弥陀三尊像は、宋風の強い鎌倉様式の典型作の一つ。


敷地絵図
五輪塔(多宝寺址の覚賢塔
阿弥陀如来及両脇侍坐像

が国の重要文化財に指定されています。

境内の冷泉為相墓は国の指定史跡です。




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世界文化遺産候補・・・称名寺

称名寺


称名寺は、北条実時が建てた持仏堂がそのはじまりとされています。

金堂前の庭園は、実時の孫貞顕の代に完成され、阿字ヶ池の中島に反橋と平橋が架けられた浄土式庭園。

絹本著色北条実時像、絹本著色北条顕時像、絹本著色金沢貞顕像、絹本著色金沢貞将像は国宝。

その他、多くの重要文化財が残されています。

塔頭光明院の「大威徳明王像」は、源実朝の養育係だったという大弐局の発願で、運慶が造立したものであることが判明しています。




惣門

仁王門





金堂

鐘楼

釈迦堂







光明院

大宝院

金沢文庫


大威徳明王像


称名寺


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2012年2月4日土曜日

世界文化遺産候補・・・極楽寺

極楽寺


極楽寺は、西大寺流律宗叡尊の弟子忍性が開いた寺です。

律宗は、叡尊の鎌倉下向によってその基盤が確立されました(参考:新清涼寺釈迦堂)。


一升桝遺跡
仏法寺跡
忍性墓
伝上杉憲方墓

は、極楽寺境内とともに国の指定史跡。

忍性塔
五輪塔
木造釈迦如来立像(清涼寺式釈迦如来)
木造釈迦如来坐像
木造不動明王坐像
木造十大弟子立像
金銅密教法具

などが国の重要文化財に指定されています。


毎年4月7日から9日にかけて、秘仏本尊の木造釈迦如来立像(清涼寺式釈迦如来)が開帳されます。

4月8日には、忍性墓も公開されます。


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