【1級の問題】
鎌倉発祥のサクラとして、源実朝が歌に詠んだ永福寺や勝長寿院などに植えられていたものと同種ではないかといわれている〔 ① 〕桜や、江戸時代に後水尾天皇が御車を返して花容を確かめたといわれる〔 ② 〕桜がある。
【2級の問題】
江戸時代に後水尾天皇が、御車を返して花容を確かめたといわれ、同じ枝に八重と一重を同時に咲かせる,鎌倉が発祥の地だとされるサクラは何か。
【3級の問題】
南北朝時代に、鎌倉から京都の御所へ運ばれ、植えられたと『園太暦』に記録が残る、材木座が発祥の地とされるサクラは何か。
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鎌倉原産の桜として知られているのは、オオシマザクラの突然変異種とされる桐ヶ谷(きりがや)と普賢象(ふげんぞう)。
鎌倉検定に出題されるのは初めてかもしれません。
桐ヶ谷はソメイヨシノより少し遅れて開花する八重と一重が混生する桜。
室町時代(南北朝期)には、足利尊氏によって京都御所の紫宸殿の左近の桜として植えられ、仁和寺辺りにも植えられたのだと伝えられています。
南北朝期の公卿・洞院公賢の日記『園太暦』(えんたいりゃく)には、1357年(延文2年)3月19日、南庭に桜が植えられ、非常にすぐれた美しさで「鎌倉桜」という名であることが記録されているようです。
「今日南庭渡栽桜樹、殊絶美花也、号鎌倉云々」
江戸時代には、後水尾天皇が「この桜は八重なのか一重なのか」を確かめるために御車を返したのだといいます。
そのため京都では、「桐ヶ谷」を「御車返し」(みくるまがえし)と呼んでいるようです。
鎌倉の極楽寺には北条時宗のお手植えと伝えられる古木があって「八重一重咲分桜」と呼ばれています。
普賢象はソメイヨシノの後に開花する遅咲きの八重桜。
桐ヶ谷と同じ頃に京都に運ばれ、室町幕府3代将軍の足利義満は、仁和寺辺りに植えられていた普賢象の美しさに心を打たれたのだといいます。
また、後小松天皇を北山殿に招いた際、御小松天皇から引接寺(千本ゑんま堂)の桜を薦められ、境内に咲き誇る普賢象を観て感嘆したのだとも伝えられています。
~鎌倉原産の桜~
(京都で人気を集めた鎌倉桜)
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2025年(令和7年)は巳年。
巳は蛇!
蛇は弁財天の使い。
巳の日には蛇が弁財天に願いを届けてくれる!
京都は七福神発祥の地