別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年3月12日火曜日

花は桜木、人は武士~義経桜と重忠桜~


「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの」

これは、室町時代の禅僧・一休宗純の名言。

花は桜がすばらしい。

そして、ぱっと咲いてぱっと散る桜のように、美しく咲き潔く散る武士はすばらしい。


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1184年(寿永3年)1月20日、源義経宇治川の戦いで花を咲かせました。

同年2月7日には一ノ谷の戦いで、翌年2月19日には屋島の戦いで平家を敗走させます。

そして3月24日、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしました。

義経が歴史上で輝いていたのはこの1年。

まさにぱっと咲いた義経桜でした。

その後、兄の頼朝と不仲となってしまった義経は、「花はみよしの」の吉野山静御前と別れ、奥州平泉へ。

1189年(文治5年)閏4月30日、衣川館で最期を遂げます。


壇ノ浦古戦場


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「鎌倉武士の鑑」といわれた畠山重忠は、1205年(元久2年)6月22日​、北条時政の謀略により、武蔵国の二俣川で最期を遂げました。

重忠は、僅か150騎を従えていたのみで、家臣からは引き返すよう進言されますが、「潔く戦うことが武士の本懐」として討伐軍を迎え撃つことにしたのだといいます。




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宇治川の戦い

一ノ谷の戦い

屋島の戦い

壇ノ浦の戦い


源義経最期の地


畠山重忠の乱


源義経

畠山重忠









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鎌倉の桜


桜の開花予想・開花状況


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~桜の次はアジサイ~

鎌倉アジサイ特集


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