「仏涅槃図」は、仏教の開祖・釈迦が沙羅双樹の下で、頭を北にして、西を向き、右脇を下にした姿と、十大弟子をはじめとするさまざまな生き物が嘆き悲しむ様が描かれた図。
清少納言が隠棲したという東山月輪に建てられた泉涌寺の大涅槃図の大きさは、縦16m、横8mで日本最大級の巨幅。
2024年3月8日(金)から3月17日(日)の間、仏殿に掲げられた大涅槃図が特別公開されます。
境内には清少納言の歌碑もあります。
泉涌寺は皇室の菩提寺。
源頼朝の要請を受けた宇都宮信房が月輪大師に寺地を寄進したことで伽藍が完成したのだといいます。
後鳥羽上皇・順徳上皇をはじめ、北条政子・北条泰時も月輪大師について受戒しています。
鎌倉に建長寺を開いた蘭渓道隆は第三世月翁智鏡との出会いが縁で来日しました。
第六世願行は、東寺を再興し、高野山の復興に尽力。
鎌倉に泉涌寺派の法燈を伝えた僧でもあり、長楽寺(安養院)・大楽寺・理智光寺を開き、伊勢原の大山寺を再建しました。
覚園寺開山の智海心慧は、願行から密を受けたといわれ、浄光明寺の愛染明王像、玉泉寺の胎内不動は願行作と伝えられています。
清少納言の父・清原元輔の邸宅は、泉涌寺の塔頭・今熊野観音寺付近にあったといわれています。
今熊野観音寺の北には、清少納言が仕えた藤原定子の陵墓(鳥戸野陵)があります。
泉涌寺の塔頭・即成院には屋島の戦いで活躍した那須与一の石造宝塔があります。
鎌倉の涅槃会は2月15日
次回の光る君へ
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
鎌倉との繋がりを求めて!