別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2021年9月8日水曜日

源頼家の弓の師範となった下河辺行平


1190年(文治6年)4月7日、源頼朝下河辺行平に書状を送り呼び出します。

その理由は、嫡男の頼家の弓の師範になってもらうため。

頼朝は書状とともに馬も送っています。


そして、4月11日、頼家がはじめて小笠懸を射る儀式が御所の南庭で行われます。

行平は「引目矢」(蟇目)を献上し、命により頼家の手伝いをしました。

三浦義澄は的、千葉常胤は馬、小山田重成は鞍、八田知家は乗馬袴の行縢(むかばき)と乗馬沓、宇都宮朝綱は水干と袴を献上。

小山朝政足立遠元畠山重忠・小山田重朝・和田義盛梶原景時らが呼ばれ、その他多くの御家人が集まりました。

小笠懸は三度行われましたが、皆、その腕に感心したのだといいます。

その後の酒宴の席で頼朝は、頼家の弓の師匠である行平に刀を与えています。


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下河辺行平は、下総国下河辺荘の荘司だった武将。

下野国小山荘を本拠とした小山氏の一族で、小山政光は伯父にあたります。

弓の名手だった行平は流鏑馬・笠懸・弓始などの射手に選ばれ、『吾妻鏡』は頼朝から「日本無双の弓取」と称賛されたと伝えています。

1195年(建久6年)11月6日には、頼朝から准門葉(源氏一門に準ずる)という覚書を与えられました。



下河辺行平






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