深谷上杉氏は、上杉氏の諸家の一つ。
山内上杉家の上杉憲顕の六男・上杉憲英が武蔵国に庁鼻和城(こばなわじょう)を築城し、庁鼻和上杉(こばなわうえすぎ)を名乗ったのが始まり。
憲英は、明月院開基の上杉憲方の弟。
1456年(康正2年)、憲英の曾孫・房憲のときに深谷城が築城され、深谷上杉氏を名乗るようになりました。
やがて、後北条氏が武蔵国まで勢力を伸ばしてくると、憲英から数えて七代目の憲盛のときに後北条氏の傘下に入りますが、1590年(天正18年)、八代氏憲のときに豊臣秀吉の小田原征伐で深谷城は開城。
深谷上杉氏の所領は没収され、氏憲は、子の憲俊とともに信州に隠居しました。
のちに、憲俊は池田輝政に仕えて岡山藩士となり、憲盛の子孫は、深谷氏を名乗り、旗本として江戸幕府に仕えているようです。
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