別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2019年1月30日水曜日

熱海七湯めぐり


大湯間欠泉
(おおゆかんけつせん)

世界の三大間欠泉の一つに数えられていた大湯。

間欠泉とは、一定周期で水蒸気や熱湯を噴出する温泉のこと。

大正時代初期までの大湯は、湯と蒸気を交互に噴出し、その勢いは地面が揺れるようであったのだとか。

しかし、1923年(大正12年)の関東大震災で噴出が衰え、現在は人工的に噴出させています。


河原湯
(かわらゆ)

かつての熱海温泉は、湯治客は主に大湯の源泉が使用し、他の源泉は限られた家のみが使用できるお湯でした。

熱海村の村民や近郷の人達が自由に入浴できたのが河原湯。

1666年(寛文6年)小田原城主稲葉美濃守が村民のために浴室を設けて、その屋根を瓦葺としたため「瓦湯」とも呼ばれたのだとか。

塩分が多く、冷え性や神経痛やリューマチなどに効能があって、人が入ると透明な湯が白く濁るほどだったそうです。


佐治郎の湯・目の湯
(さじろうのゆ・めのゆ)

銀座通りの佐次郎の湯は、医王寺の門前にあった佐治郎という者の邸内にありました。

塩分が少なく、火傷や眼病にもよく効くといわれ、「目の湯」とも呼ばれました。


風呂の湯・水の湯
(ふろのゆ・みずのゆ)

昔の坂町高砂屋(大木円蔵)の庭から湧き出し、外傷に効くといわれていた湯。

湯気の噴き出しを利用して饅頭を蒸したり、酒を温めたりして販売をしていたのだとか。

風呂の湯の1.5メートルほど東のところに塩分のない温泉も湧き出ていました。

温度も低かったので「水の湯」と名付けられていたそうです。


清左衛門の湯
(せいざえもんのゆ)

昔、農民の清左衛門という者が馬を走らせて、この湯壷に落ちて焼け死んだので、その名が付いたといわれ、「清左衛門ぬるし」と大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たのだとか。


小沢の湯・平左衛門の湯
(こさわのゆ・へいざえもんのゆ)

小沢の湯は、沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯だったことから「平左衛門の湯」と呼ばれていました。

清左衛門の湯のように、大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。

ここでは、高温の蒸気を利用して「ゆでたまご」を作れます。

玉子は持参です(目の前の酒屋さんで売っています。)。


野中の湯
(のなかのゆ)

野中(現在の藤森稲荷一帯)辺り一帯は、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。




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