別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年5月14日土曜日

木曽義仲の名刀「微塵丸」と曽我兄弟の仇討ち


『吾妻鏡』によると・・・

1183年(寿永2年)3月、源頼朝との関係が急激に悪化した木曽義仲

嫡子の義高を人質として頼朝に差し出すことで和睦します。


『曽我物語』によると・・・

義仲は箱根権現を参拝し、義高の無事を祈願して、太刀・微塵丸を奉納したのだといいます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

木曽義仲の墓
(滋賀県大津市)


『吾妻鏡』によると・・・

頼朝と和睦した義仲は、1183年(寿永2年)7月28日、平家を都落ちさせて入京しますが・・・

翌1184年(寿永3年)1月20日、頼朝が派遣した源範頼源義経に攻められ、近江国粟津で討死しました。


清水八幡宮
(埼玉県狭山市)

人質として鎌倉にいた嫡子義高も誅殺されています(清水八幡宮は義高を祀る社)。


それから9年後の1193年(建久4年)、富士裾野では曽我兄弟の仇討ちが起こります。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『曽我物語』によると・・・

仇討ち成就を祈願するため箱根権現を参拝した曽我兄弟。

その時、別当の行実は、兄の十郎祐成に木曽義仲奉納の微塵丸を与え、弟の五郎時致には兵庫鎖の太刀を与えたのだとか・・・

※兵庫鎖の太刀は源義経奉納の薄緑のことか・・・?


『吾妻鏡』によると・・・

1193年(建久4年)5月28日夜半、雷雨の中、曽我十郎祐成と五郎時致の兄弟は、裾野に建ち並んだ宿舎に忍び込み、父・河津祐泰の仇・工藤祐経を討ち取りました。


工藤祐経の墓
(静岡県富士宮市)

曽我兄弟の墓
(静岡県富士宮市)


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