『吾妻鏡』によると、
1180年(治承4年)7月5日、頼朝は走湯山(現在の伊豆山神社)の覚淵を北条館へ呼び出します。
頼朝は覚淵にこう問います。
「心に思うところがあって、法華経を千回読誦つもりでしたが、火急の事態になってしまい、続けることが難しくなってしまいました。
※読誦:声をあげて読むこと。
ですから、転読八百回にして仏に願いを申し上げようと思いますがいかがでしょうか」
※転読:一部だけを読んで全体を読むのに代えること。
それに対して覚淵は
「千回に満たなくても仏の心に背くことにはなりません」
と答え、香と花を仏前に供えて祈りました。
そして、
「頼朝さまは八幡大菩薩の氏人で、法華経八巻をいつも持経している方。
八幡太郎義家さまの旧跡を継いで、東国八カ国の勇士を従えて、八条に住む重大犯罪人・平清盛一族を退治することは、頼朝さまの掌中に握られています。
これは八百回読んだことによるご利益です」
と申し上げました。
それを聞いた頼朝は、とても感激したようです。
晩になって覚淵が帰ろうとすると、世の中が落ち着いたら、蛭島を寄付することを約束しています。
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